2008/02/15
「映画:ブリッジ THE BRIDGE」-人間版野生の王国-
【自宅にてDVD】
ゴールデンゲート・ブリッジから投身自殺する人を定点カメラ、望遠カメラで追い続けたドキュメンタリー映画。
淡々とした構成の映画だったが、実はかなりエグイ発想。
最初はそう思った。
ゴールデンゲート・ブリッジは観光名所でありながら自殺の名所でもある。
なので、何ヶ月も掛かると思うけど根気強く24時間、カメラで狙っていれば必ずライブで投身自殺が撮影できる。
それも、瞬間だけではなく、思い悩んだりしてる様や決断の時まで全てだ。
シンプルだが鑑賞者に与える効果は絶大だ。
動機はどうあれ、監督はエグイこと考え出したなと思った。
しかし、よくよく考えてみると本作と似たような感じ、観た事あるなぁと思い、はたと気が付いた。
動物ドキュメンタリーがそうだ。
一匹、又はファミリーの動物を何ヶ月も何年にも渡って追跡する。
時には定点カメラを据えて移動せずに、対象がアクションを起こすまで居座る事もあるだろう。
そして、生と死を記録する。
本作とまったく同じだ。
監督は「何故、人は自ら命を絶つのか?」その疑問を元に、まるで動物の知られざる生態を知りたければ対象に近づかず息を殺して、望遠カメラを覗き続ける動物学者のように本作を撮った。
「何故、助けないんだ」みたいな理由で批判があるのかもしれないけれど、対象に直接手を出すドキュメンタリー作家なんていない。
(あっ、マイケル・ムーアがそうか(笑))
本作は一見すると静かで知的な印象を与えるが、結構いかがわしくもあり、しかし実の所はオーソドックスなドキュメンタリーの形式で作られた映画だった。
まぁ、世界的な観光名所であるゴールデンゲート・ブリッジを撮影対象に選ぶ事自体が、見世物的で、いかがわしくもあるのだが、このような要素がなければ映画として面白くはならないだろう。
【追記】
自殺してしまう本人だけではなく、残された友人、家族にもインタビューを行っています。
息子に先立たれた両親の犬の愛で方が痛々しい。
また、魚が飛び跳ねただけかもしれない飛沫と投身自殺の着水の飛沫が、定点カメラだと同等に観えることにドキッとする。
自殺しようとしている人の横を、当り前のように観光客が通り過ぎて行く光景が衝撃だった。
【関連サイト】
□ブリッジ THE BRIDGE:公式サイト(英語)
http://www.thebridge-themovie.com/new/index.html
□【配給】トルネード・フィルム:公式サイト
http://www.tornadofilm.jp/lineup/archives/2007/06/post_49.html
2月 15, 2008 at 02:10 午前 映画・テレビ | Permalink
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2008/01/29
「ベクシル 2077日本鎖国」-志村ケンの忍者コントを見習ってほしい。-

【自宅にてDVD】少しネタバレします。
高偏差値の中学生が作ったような映画だった。
設定など凝っているのだが、演出・脚本的にびっくりするような拙さがあったりする。
序盤の日本潜入シーンがそうだ。
闇夜に紛れての潜入であるが、主人公(ベクシル)を含めた特殊部隊ソード(SWORD)の彼等はパワードスーツ的な装備を装着してる。
※公式サイトにはファイタースーツと記載があるな。
なので、歩く度にガシン、ガシンとデカイ音を発するのだ。
隠密潜入でデカイ音出したらマズイだろ!
ドリフの忍者コントだって、志村ケンは抜き足差し足忍び足をしてたじゃないか!
案の定というか当然、潜入は即バレの展開へと発展するのだった。
実写だろうがアニメだろうが、潜入シーンは息を潜めて何ぼでしょ。
(※確かに途中まではそのような演出だったが)
ファイタースーツを身に着けるのならば、身に着けたなりの隠密潜入の演出があってもよさそうじゃないかと思った。
それでも敵にバレるから映画は面白くなるのではないだろうか。
沈黙を守って潜入する醍醐味も、また敵が主人公等の小隊を発見する醍醐味も全然ない。
僕はこの序盤のシーンで、かなりこの映画を真剣に観る気を失くした。
その後も盛り沢山の展開をみせるのだが、見せ場を作る為の辻褄あわせのような気がする。
唐突に『地震が来る~最後のチャンスだ』って、言われてもなぁ。
また、東京を囲っている壁であるがモルモット状態のスラム街の住人達に何故、壁を開閉出来る権限があるのだろうか?
そんな事を許す支配者が何処にいるのだろうか?
全編を通して突っ込み所満載な気がする。
本作は『アップルシード』に続き3Dライブアニメで制作と、映像表現が何かと取り上げられる映画だと思うのだが、それ以前に脚本を如何にかしてほしいと思った映画だった。
監督: 曽利文彦
プロデューサー: 中沢敏明
脚本: 半田はるか 曽利文彦
声の出演: 黒木メイサ 谷原章介 松雪泰子 朴路美 大塚明夫
【関連サイト】
□ベクシル 2077日本鎖国:公式サイト
http://www.vexille.jp/
1月 29, 2008 at 02:43 午前 映画・テレビ | Permalink
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2008/01/18
「毛皮のエロス/ダイアン・アーバス 幻想のポートレイト」-デヴィッド・リンチ版が観たかった。-

【自宅にてDVD】ネタバレします。
伝説的な写真家ダイアン・アーバスの生涯をモチーフに作られた本作。
ダイアン・アーバスと言えば、異形の人々を被写体にすることで知られ、自身も自殺で生涯を閉じ、作品のタイトルが“無題”であると、謎に満ちているのだが、本作は非常に分かりやすい。
整理整頓され過ぎているくらいだ。
その事は主人公のキャスティングにも現れている。
保守的な正統派美人のニコール・キッドマンが、これまた保守的なアメリカの中産階級の典型的な装いで登場する。
良き夫とカワイイ娘達がいて幸せだが、いまいち満ち足りない日々を送っているのだが、そこに多毛症の男(ロバート・ダウニー・Jr)が越してくる。
この男と知り合う事により、異質な“向こう側”の扉が開かれる。
多毛症の男に深くのめり込むにつれて、保守的な顔立ち、装いのキッドマンが少しずつラフに淫らに変貌してゆく。
例えるならば、真面目だった同級生の女の子が夏休み明けにヤンキーになってたくらいの分かりやすさだ。
その“夏休み”の部分を「不思議の国のアリス」になぞらえて紐解いたのが、この映画だろう。
しかし、予備知識として「不思議の国のアリス」を下敷きにしていると知らなかったとしても、全く問題は無い。
本編で、あからさまに明示しているからだ。
ニコール・キッドマンは男に会いに行く時には“アリス”のトレードマークである“青い”ドレスを身に着ける。
また、劇中で子供達に「不思議の国のアリス」の絵本を読み聞かせるシーンもある。
ちょっと、直球過ぎるような気がした。
更にダイアン・アーバスの作品が何故、無題なのかについても一つの解答を提示する。
至れり尽くせりなのだが、映画としては面白味がない。
僕はダイアン・アーバスについて正直良く知らない、写真もスタジオボイスか何かで少し見たくらいで、「シャイニングの双子の元ネタだよなぁ」程度の知識だ、当然、伝記も読んでいない。
しかし、きっとダイアン・アーバス自身が何故、写真のタイトルが“無題”なのかについて明言はしていないはずだと思うのだが、どうだろう。
明言してしまっては、“無題”にした意味がなくなってしまうからだ。
※タイトルを付ける前に自殺してしまったのかもしれないが。
いずれにせよ“無題”であることによって、その作品を目にした者自身が想像するしかないのだが、それが作品に接した時の面白味だろう。
映画も同じだと思うのだが。
しかし、本作は“幻想のポートレイト”とタイトルにあるが、観客に幻想させない、想像させない。
全てが用意されている。
“幻想”というよりは“解釈”だ。
仮にデヴィッド・リンチが本作を監督したら、どうなっただろうか?
リンチの映画でもウサギ男や、普通の人が異様な世界に巻き込まれる等、「不思議の国のアリス」に影響を受けているはずだ。
また、異形の人々に対する眼差しなど、本作と共通するところは多々ある。
きっと、デヴィッド・リンチならば、ダイアン・アーバスの謎は謎のまま、観客に投げ出すだろう。
分けが分からないが、刺激的な映画になったに違いない。
有りもしないデヴィッド・リンチ版が観たかった。
ただ一つ、この映画でのダイアン・アーバスは満足したのだろうか?
彼女が愛したのは毛むくじゃらの彼であり、素顔を見せた彼では無いと思うのだが。
たとえ結ばれたとしても、心残りではないのだろうか。
永遠のお預け状態というか。
本編で直接的に明示された彼からの置き土産よりも、このことの方が写真を撮り続ける動機になったように思ったのだった。
本作の唯一の謎だ。
監督:スティーヴン・シャインバーグ
原作:パトリシア・ボズワース 『炎のごとく 写真家ダイアン・アーバス』
脚本:エリン・クレシダ・ウィルソン
撮影:ビル・ポープ
衣装デザイン:マーク・ブリッジス
出演:ニコール・キッドマン ロバート・ダウニー・Jr タイ・バーレル ハリス・ユーリン
【関連サイト】
□毛皮のエロス/ダイアン・アーバス 幻想のポートレイト:公式サイト
http://kegawa.gyao.jp/
□DIANE ARBUS - PHOTOGRAPHS:ダイアン・アーバスの作品が見れます。
http://www.artphotogallery.org/02/artphotogallery/photographers/diane_arbus_01.html
炎のごとく―写真家ダイアン・アーバス
パトリシア ボズワース 名谷 一郎

1月 18, 2008 at 01:18 午前 映画・テレビ | Permalink
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2008/01/11
アニメ「墓場鬼太郎」-和紙テクスチャ使いまくり-

懐かしかった。
子供の頃に読んだ漫画に近い絵柄、ストーリー。
さすがに貸本時代に生まれている訳ではないが(笑)、家にあった漫画本は「墓場鬼太郎」だったのだろうか?
「ゲゲゲの鬼太郎」も時代によってバージョンがたくさんあるから、初期の漫画は「墓場~」と同じ展開だったかもしれないが、よくわからん。
確か、原作ではアニメ冒頭に出てくる患者は鬼太郎の母親の血を輸血したから幽霊化したんじゃなかったかな、と思い検索したらやっぱりそうだった。
生活苦で母親が売血したのだった。
このネタは深夜枠の「大人の鬼太郎」とは言え、原作通りは無理か(笑)。
でも、本アニメでこの部分の変更に違和感があったのは事実だ。
ちょっと、無理やりな感じがした。
表現的な部分での「墓場鬼太郎」だが、和紙テクスチャ使いまくりで凝りまくり。
手書きで和紙に描いたとしたら、和紙は一枚一枚が皺、染みが違うので、アニメーションにすると画面全体がカサカサ、チリチリと細かく動いて見える。
その効果を狙って、背景なのか、前面なのか分からないが、トータルな質感を出す為の和紙テクスチャが有り、さらに細かな和紙の皺、染みをCGだと思うがカサカサと動かしている丁寧さ。
アニメの制作過程は良く知らないが、凝ったことするなぁ。
たまたま、前に観た「怪~ayakashi~・化猫」に質感が似ているなと思ったのだけれど、やっぱり、同じスタッフが関わっていた。
美術ボード:倉橋隆氏、
CGディレクター:森田信廣氏
の両氏だ。
東映アニメーションは和紙テクスチャで突き進むのか(笑)。
次回も期待。
【追記:1】
この従来のアニメと違う感じは、いつ頃から始まったのだろうか?
何と言うか、アニメ畑ではないデザイナーやPVを作っているようなクリエイターが関わっていそうな感じは。
「サムライチャンプルー : SAMURAI CHAMPLOO」あたりからかな。
【追記:2】
友人は日曜日の朝に放送している「ゲゲゲの鬼太郎」を子供と一緒に観ているらしく、話を聞いたのだが、ネコ娘がティッシュ配りのバイトしているみたいじゃないですか!
ろくろっ首にも人間の彼氏がいるみたいだし!
妖怪横丁があって、そこでみんな働いているらしい。
♪オバケにゃ学校も~試験も何にも無い!
じゃ、ないのか!
世知辛いことになってるなぁ。
妖怪くらい気楽にダラダラと無職でいいじゃないかと思うのだが。
かなり凹んだが、逆に観たくなった。
DVD借りるか、とりあえず。
【関連サイト】
□墓場鬼太郎:公式サイト
http://www.hakabakitaro.com/
□ゲゲゲの鬼太郎:公式サイト
http://www.toei-anim.co.jp/tv/kitaro/index.html
□怪~ayakashi~:公式サイト
http://www.toei-anim.co.jp/tv/ayakashi/index.html
□サムライチャンプルー : SAMURAI CHAMPLOO:公式サイト
http://www.samuraichamploo.com/
1月 11, 2008 at 11:46 午後 映画・テレビ | Permalink
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2008/01/10
「フラガール」「バベル」「かもめ食堂」-取り留めなく観る。(その2)-
「フラガール」
【自宅にてTV】だいぶ前に観た。
「ウォーターボーイズ」に端を発する“集団訓練モノ”かと、高を括って観たのだが、意外と面白かった。
製作者の志が高かったのだろう。
忘れ去られた時代、人々がエンターテイメント作品として蘇った。
監督: 李相日
脚本: 李相日 羽原大介
撮影: 山本英夫
音楽: ジェイク・シマブクロ
出演: 松雪泰子 豊川悦司 蒼井優 山崎静代 寺島進 志賀勝 岸部一徳
【関連サイト】
□フラガール:公式サイト
http://www.hula-girl.jp/
「バベル」
【自宅にてDVD】
今風のシェルタリング・スカイか?
発展途上国を旅する不仲の夫婦、ターバンを巻いた男達。
徐徐に傷口が深くなるコミュニケーション不全。
また、本作のラストで坂本龍一の楽曲も使用されていたから余計にそう感じたのかな。
シェルタリング・スカイは深く掘り下げるタイプの映画だったが、本作は不幸のグローバリズム化といった様相を呈する。
菊地凛子も頑張っていたが、メキシコ人乳母、アメリア役のアドリアナ・バラーザが強く印象に残る。
しかし、外国人の撮る日本はどうしても、ブレードランナー風と言うか無国籍な感じになってしまうな。
日本中、何処も彼処も巨大モニターだらけじゃない(笑)。
菊地凛子演じるチエコの友人、ミツ役の女優さん、僕は映画「リンダ・リンダ・リンダ」のベース役の女優さんだとばかり思っていた。
それで、結構良い演技してるのに、菊地凛子ばかり話題で、何でこの女優さん話題にならないのだろうと観ながら思ったのだが、ミツ役は「リンダ~」の女優さんではなかった。
そもそも「リンダ~」の女優さんは女優が本職ではなかった、Base Ball Bearのベースの子だった。
ベースが本職だ。
二重の間違い。
で、ミツ役の女優さんであるが、この方は、ろう者の大学生、村田裕子さんという事がわかった。
粥川準二氏のブログで知ったのだけれど、劇場プログラムには何の記載も無かったようだ。
村田裕子さんの要望ではなく、ただ単に端役扱いで記載無しだとしたら、ちょっと酷いと思った。
公式サイトのキャストにも記載がないな・・・
正当に評価すべき。
監督: アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
脚本: ギジェルモ・アリアガ
撮影: ロドリゴ・プリエト
音楽: グスターボ・サンタオラヤ
出演: ブラッド・ピット ケイト・ブランシェット ガエル・ガルシア・ベルナル 役所広司 菊地凛子 村田裕子 アドリアナ・バラーザ
【参照サイト】
□みずもり亭日誌(粥川準二の雑記帳)
http://www2.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=91038&log=20070430
□手話パフォーマンスきいろぐみ & 手話あいらんど
http://blog.so-net.ne.jp/sign-language/2007-04-03-1
□asahi.com:話題の映画「バベル」に言葉の壁 ろう者が落胆・困惑
http://www.asahi.com/culture/movie/TKY200702220215.html
【関連サイト】
□バベル:公式サイト
http://babel.gyao.jp/
「かもめ食堂」
【自宅にてTV】だいぶ前に観た。
この映画を観て、小洒落たカフェを始めたいと思った女子が何万人といただろう、きっと。
温泉に長く浸かっていると気持ちいいが、そんな感じの映画だった。
それ以上でも以下でもない。
現実にあの店をオープンしたら、資産家でもなければ1ヶ月で潰れると思う。
お客は全然入っていないが主人公は困っている様子もない。
最終的に店は満員になるのだが、フィンランドの肉体労働のオッサンが昼飯に日本の定食は食わないだろ、普通。
日本でとび職の兄ちゃんが、昼飯にイタリア人がやっているパスタを食うか?
普通は異国でお店を出したことによる悲喜交々、ドタバタ、悪戦苦闘が映画としての面白さを醸し出すと思うのだが、本作はその辺は全てスルーだ。
言語の壁さえ簡単に飛び越える。
「バベル」とは正反対の世界。
現実を舞台としながらも、中身は完全なファンタジーだ。
適度にシュールでセンスが良い、要するに“ヌルい”ということだが、この辺が新鮮に感じられると言えば、その通り。
でも、センスだけの映画は人生の足しにはならないと思うが。
監督・脚本: 荻上直子
原作: 群ようこ
撮影: トゥオモ・ヴィルタネン
音楽: 近藤達郎
出演: 小林聡美 片桐はいり もたいまさこ ヤルッコ・ニエミ タリア・マルクス マルック・ペルトラ
【関連サイト】
□かもめ食堂:公式サイト
http://www.nikkatsu.com/movie/official/kamome-movie/
1月 10, 2008 at 01:19 午前 映画・テレビ | Permalink
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2007/12/13
「叫」「ドリームガールズ」「ニューヨーク1997」「エスケープ・フロム・LA」取り留めなく観る。
「叫」
昨今のJホラーをリミックスした感じ。
しかし、黒澤清監督は投身自殺のシーンにこだわるなぁ。
「回路」でも確か投身自殺のシーンがあったはず。
それもビルの屋上から地面までカットを割らずに、ドサッと落ちるとこまでを1カットで撮る。
身を投げる人物はダミー人形ではない。
本作では投身自殺した人物が死んでおらず、フラフラと立ち上がって逃げるとこまでを1カットで撮っていた。
変な言い方だが、投身自殺が進化している。
落ちる前または落ちてる途中と落ちた後のカットを割った投身自殺のシーンと1カットに納めた投身自殺のシーンでは映像のインパクトが全然違うは確かだ。
結構なペースで刊行されている黒澤清関連の本に、この辺の事、書かれているのかな?
監督: 黒沢清
脚本: 黒沢清
プロデューサー: 一瀬隆重
撮影: 芦澤明子
出演: 役所広司 小西真奈美 葉月里緒菜 伊原剛志 オダギリジョー 加瀬亮
「ドリームガールズ」
アメリカの、アメリカ人による、アメリカ人の為の映画。
日本人の僕でも面白かったが(笑)。
セットもゴージャス、キャストも気合入りまくり。
エディ・マーフィーも、いつもより3割増しで黒光りしてる感じだ。
ハリウッド映画の底力を見た気がする。
題材が全然違うが、ちょっと「ブギーナイツ」みたいだった。
ある人物を通して一時代を築いたムーブメントを切り取ってみせる、この手の映画は好きだな。
「ドリームガールズ」と「ブギーナイツ」でアメリカ現代史はバッチリ。
そんな訳無いか(笑)。
監督: ビル・コンドン
製作: ローレンス・マーク
原作: トム・アイン
脚本: ビル・コンドン
撮影: トビアス・シュリッスラー
出演: ジェイミー・フォックス ビヨンセ・ノウルズ エディ・マーフィ ジェニファー・ハドソン
「ニューヨーク1997」 「エスケープ・フロム・LA」
連続して観たので、頭の中で混ざってしまった(笑)。
「エスケープ・フロム・LA」のほうが後に作られているので、金も掛かっておりスケールもデカくて面白かった。
見終わった後、唐突に
「ジョン・カーペンターはアメリカのゴダールか!?」
などと思ってしまった。
何故だろう。
映画ラストのテクノロジーでテクノロジーを破壊するという行為が、ゴダール的な映画で映画を破壊するという感じで頭の中で繋がったのだろう、たぶん(笑)。
また、サーフィン(※処女作「ダークスター」でも見せ場)やキャデラック、ヘビメタなどのアメリカで花開いた不良文化に対する愛着、それに反してディズニーランドは廃墟にしてしまうといった、ジョン・カーペンターの自国文化に対する愛憎が興味深かった。
まぁ、そもそもニューヨーク、ロサンゼルスを廃墟にしているのだが(笑)。
「ニューヨーク1997」
監督: ジョン・カーペンター
製作: デブラ・ヒル ラリー・フランコ
脚本: ジョン・カーペンター ニック・キャッスル
撮影: ディーン・カンディ
音楽: ジョン・カーペンター
出演: カート・ラッセル リー・ヴァン・クリーフ アイザック・ヘイズ ドナルド・プレザンス アーネスト・ボーグナイン
「エスケープ・フロム・LA」
監督: ジョン・カーペンター
製作: デブラ・ヒル カート・ラッセル
脚本: ジョン・カーペンター デブラ・ヒル カート・ラッセル
撮影: ゲイリー・B・キッブ
音楽: シャーリー・ウォーカー ジョン・カーペンター
出演: カート・ラッセル ステイシー・キーチ スティーヴ・ブシェミ ピーター・フォンダ ジョージ・コラフェイス ブルース・キャンベル パム・グリア
12月 13, 2007 at 12:49 午前 映画・テレビ | Permalink
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2007/12/02
「大日本人」-何故、TV放送向けに作らなかったのだろうか?-

大日本人
初回限定盤
【自宅にてDVD】
映画館で観ようと思っていたが、何だかんだでDVDになってしまった。
が、しかし本作を映画館でみたら、正直がっかりしたかもしれない。
それは、映画的なダイナミズムが全然なかったからだ。
報道番組を模したフェイクドキュメンタリーと特撮ヒーロー物がミックスされた形式で進行する映画だったのだけれど、このようなパロディは元ネタの媒体でやるのが一番効果的だと思うのだが。
本作は映画の形式ではなく、あくまでテレビの形式に沿っている。
そう考えると、劇場映画用ではなくTV放送用に作るべき作品だったように思う。
本作がゴールデンタイムに松本人志撮りおろし作品として放送されていたら、全然違った印象を受けたはずだ。
さすが、松本人志と言ったかもしれない。
また、テレビの形式で作られたパロディ映画も当然あるのだが(※ケンタッキー・フライド・ムービーとか、そうなのかな、あんまり面白くないけど)、本作より、元ネタの形式に対して、もっと徹底している。
本作は所々、映画的であったり、テレビ的であったりと一貫していないように思われる。
そもそも、松本氏本人はパロディ自体が好きではない。
インタビュー、書籍等で発言していると思う。
なので、本作をパロディ映画として作っているという意識が薄いのかもしれない。
パロディ映画という自覚無しに“笑い”を追求した結果が本作になったのだとしたら、松本氏はやはり徹底的にテレビの人なのではないだろうか。
北朝鮮のニュース風の映像も映画館のスクリーンで観るより、自宅のテレビ画面で観る方が笑えるはず。
また、上記の北朝鮮のパロディや日米安保に触れるような主人公の台詞も、決して政治的な社会風刺ではなく、あくまで日常的で、僕等が持っている曖昧な印象を反映しているに過ぎないと思う。
この辺もテレビ的だと思ったのだが。
「ごっつええ感じ」全盛時代のコントはセット、キャラクターの衣装など非常に良く出来ていた。
それは精巧に作られているのだが、本物そっくりと言う訳ではなく、ぎりぎりの所でショボく作ってある、その塩梅が絶妙で感心したのだが、それはテレビのコントとしての絶妙さ、完成度の高さだ。
しかし、映画となってしまうと、この方法論が上手く機能しないのではないのだろうか。
スクリーンに映し出されたのは、“大佐藤”という人物ではなく、カツラを被った松チャンとみえてしまう。
あのカツラだって当然、カツラと分かるようなクオリティの物を、わざと被っている。
テレビでは、あれほど効果的だった方法が映画では裏目に出てしまっている。
映画の場合は本物そっくりの頭髪にしなければならなかったのではないだろうか。
(※ズラを被っている設定じゃないよな、夏のシーンで散髪してるし。)
たぶん、僕は映画を観る時は無意識に意識を切り替えてるのだと思う。
スクリーンに投影されているのは、もう一つの現実だと。
例えそれが、荒唐無稽なファンタジーやSFであっても。
リアリティを無意識に映画に求めている。
それを逆手にとって、映画などは作り物に過ぎないと提示されたら、それはそれで面白いのだ。
しかし「大日本人」はその辺が徹底されていなかったと感じた。
やはり現在、地上波でコント番組を持っていないのが、一番キツイのではないかと思われる。
松本人志の作品はテレビで観たい。
そう強く思った映画だった。
監督:松本人志
脚本:松本人志 高須光聖
撮影:山本英夫
音楽:テイ・トウワ 川井憲次
出演:松本人志 竹内力 UA 神木隆之介 海原はるか 板尾創路 街田しおん
【関連サイト】
□大日本人:公式サイト
http://www.dainipponjin.com/
12月 2, 2007 at 10:12 午後 映画・テレビ | Permalink
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2007/10/29
黒澤明監督「隠し砦の三悪人」がリメイクされる。しなくていいよ、ホント。

YAHOOニュース
黒澤明の名作「隠し砦の三悪人」が再映画化!主演は嵐・松本潤
樋口真嗣監督とジャニーズのコンビで映画化。
「日本沈没」の二の舞じゃないかなぁ。
ニュースを読んだだけで不吉な感じがする。
リメイクなんかしなくていいから、オリジナルを劇場公開してよ!
10月 29, 2007 at 10:35 午後 映画・テレビ | Permalink
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2007/10/26
「サンシャイン2057(原題:SUNSHINE)」-邦題が安い映画にしてしまった。-

【自宅にてDVD】ネタバレします。
「トレインスポッティング」「28日後...」のダニー・ボイル監督作だけあって、ハリウッド製エンターテイメント映画という印象をあまり受けない。
何と言うか、ユース・カルチャーの臭いがする。
書いていて恥ずかしいが(笑)。
眼球の接写や編集がPVっぽいと言えば言えなくもないが、最大の原因はサウンドトラックだろう。
一般的なハリウッド映画では通常、サントラはオーケストラだ。
しかし、本作は全編にわたって、打ち込みのサウンドを使用している。
これがハリウッド製らしからぬ雰囲気を造りだしてるのではないだろうか。
後半盛り上げなければならない箇所は、オーケストラだったと思うけれど。
本作は様々な映画の引用から造られている。
宇宙船の造形は例の精子の形をしたアレだし(※ただし、本作では正当な理由があって、この造形になっていますが)、冒頭の気だるい食事をしながらのミーティングは、「エイリアン」の冒頭を思い出す。
だが、本命の元ネタは「イベント・ホライゾン」だろう。
この映画もかなり風変わりなハリウッド映画だが、行方不明になってた宇宙船を発見するくだりや、宇宙服無しでの脱出、そして何よりも、逃げ場の無い宇宙船内に狂人が出現する展開など、かなりの部分をこの映画から引用していると思われる。
また、話の筋自体も王道のストーリーで、邦題の元ネタとなってる「クライシス2050」と同じだ。
だだし、太陽の状態が真逆だが、「クライシス2050」では太陽を冷ましに行くのだが(公開当時に劇場で観たので、記憶が定かではないが)、本作では活動が弱まった太陽を活性化させる為に行く。
引用だらけの映画ではあるけれども、不快ではなかった。
逆に大変面白かった。
ちょっと不思議だ。
普通だったら、「パクリやがって!」などと文句の一つも言うのだが(笑)。
たぶん、それは引用が方便に過ぎないからだろう。
描きたい事が有り、引用は手段に過ぎない。
当り前の事かもしれないが、意外と難しいのではないだろうか。
手段が目的になってしまい引用しまくった挙句、中身がスカスカな映画もあるはず。
「リターナー」が正にそれだったが。
本作はそのような事にはならなかったと思う。
確かに、中盤までの閉鎖感と焦燥感が増幅する息の詰まるような展開と打って変り、後半の狂人が出現してからの展開は急にバタバタと慌しく、「やっつけか?」と思ってしまうが。
それでも、柔らかい陽射しが凍てついた地球の大地を照らし出すラストシーンを目にしたならば、後半のバタバタ感も帳消しになるとは言わないけれど、良い映画を観たなと思うのではないだろうか。
「サンシャイン2057」にとっての“陽射し・日光(SUNSHINE)”は両義的だ。
人間を魅了し、狂人に変えてしまう力を持つ。
太陽に近づけば近づくほど、その想いは増大する。
身を焦がすという比喩を物理的に体験してしまう事になろうとも、その魅力には逆らえない。
そしてそれは人間の無力さを思い知る事になり、究極のニヒリストになる事でもある。
後半の狂人は正にそれだが、乗組員のセラピスト(精神科医?)も、そうなりかかっていた。
その事に自覚的だった彼は自己犠牲を言い訳にして、自分が望む最後を迎えたのだ。
その一方で太陽は人類にとっての“希望の光”でもある。
希望の象徴であると同時に、希望・救済そのものとして、凍てついた大地に光が射し込むのだ。
この両義性があるので、原題はただ単に“SUNSHINE”としたはず。
だが、邦題ではこの両義性を無視した。
「サンシャイン2057」とすれば「クライシス2050」の類似性から、僕のようなユーザーが口コミで広めて話題にしてくれるだろう、という宣伝効果を狙ったのだろうが、「クライシス2050」を知っている人間がどれ程いるのだろうか?
現時点でYAHOOで「サンシャイン2057 クライシス2050」と検索すると約247件。
YAHOOブログ検索で58件。
Googleで約605件、Googleブログ検索で約74件。
知っている人が全てブログを書く訳ではないので実際はもっといるだろうが、それでも、たったこれだけだ。
これだけの為に本作の核とも言える部分を蔑ろにしてよいのだろうか?
そもそも、「クライシス2050」自体が超の付く駄作である。
その駄作を引用したタイトルを冠した映画となってしまうと興味が削がれる。
そして何よりも、本作をかなり安物の印象に変えてしまった。
テーマを無視し、安物に変えてしまった酷い邦題だ。
このような事は本当にやめてほしいと強く思った。
しかし、「サンシャイン2057」自体は後半に難があると思うが、意欲的で面白い映画だった。
監督:ダニー・ボイル
製作:アンドリュー・マクドナルド
脚本:アレックス・ガーランド
撮影:アルウィン・カックラー
音楽:ジョン・マーフィ、UNDERWORLD
出演:キリアン・マーフ、真田広之、ミシェル・ヨー
「イベント・ホライゾン」
【関連サイト】
□サンシャイン2057:公式サイト
http://movies.foxjapan.com/sunshine2057/
□最低映画館~クライシス2050
http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/worst/sf/crisis.html
10月 26, 2007 at 11:39 午後 映画・テレビ | Permalink
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2007/10/17
「力道山」と「イカとクジラ」、どちらも見応えあり。

「力道山」
“力道山”役のソル・ギョングがやはり良い。
日本語がたどたどしい箇所も当然あるが、些細な事に過ぎない。
他に誰が演ずる事が出来ただろうか。
被差別者で有るが故に、徹底的に“個”であろうとした生き様を熱演。
力道山に寄り添う“綾”の中谷美紀も良かった。
また、影の実力者“菅野武雄”を演じた藤竜也も素晴らしい。
「海猿 ウミザル」で教官を演じていたが、登場すると画面が引き締まる。
「海猿」自体は「トップガン」の焼き直しなので、取り立てて言う事の無い映画だったが、この手の映画(海猿)を映画として成立させているのは、結局のところ藤竜也のような年季の入った役者達なのだろう。

「イカとクジラ」
知的階級もそれなりに、ぶっ壊れているなぁと痛感する作品。
シニカルでユーモアが有り面白かった。
ラスト間近に流れる、ルー・リードの「ストリート・ハッスル」も、久々に聴いたが良かった。
映画秘宝で連載している町山智浩氏の「アメリカ映画特電」の「イカとクジラ」の回も聴いたのだが、ラストの印象が自分とは真逆だった。
僕は主人公が、母親に連れて行ってもらった自然博物館の「イカとクジラ」のジオラマの前で茫然と立っている姿は、失ったものに対するどうしようもなさ、且つ、唯一幸せを感じたその場所から一歩も動けない、ある種の無力感として受け取った。
町山智浩氏は「イカとクジラ」は恐ろしい対象であり、それは今現在の主人公を取り巻く状況の具現化であり、その恐怖に対峙しなければならないという決意の表明と解釈しているようだった。
ちょっと記憶が曖昧だが、たぶんそんな感じだ。
「なるほどなぁ」と思うと同時に、町山氏も言っているが、いろんな解釈が可能な映画ではある。
両作品、共に面白かった。
【追記】
昨日、町山智浩氏ご本人から、本記事の引用箇所について訂正のご指摘を頂きました。
曖昧な記憶のままで引用してしまった事を反省しました。
曖昧な引用とは、そもそも引用にならないからです。
ですので、本文の僕が引用した部分は間違いですので、町山智浩氏のコメント及び、下記の町山氏のブログを参照して頂きますようお願い致します。
※本文の誤った引用部分には取消線を追加しましたが、これは僕の意思でした事であり、町山氏から指示されたものではありません。念の為、記します。
【ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記】
2005-11-30 The Squid and The Whale イカとクジラ
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20051130
2006-10-26 「イカとクジラ」のノア・バウムバック監督インタビュー
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20061026
【関連サイト】
□力道山:公式サイト
http://www.sonypictures.jp/homevideo/rikidozan/index.html
□イカとクジラ:公式サイト
http://www.sonypictures.jp/movies/thesquidandthewhale/
10月 17, 2007 at 02:52 午前 映画・テレビ | Permalink
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2007/08/27
「ミヨリの森」-ジブリ映画の製作者が自らコピーを作ってどうする!-

「ミヨリの森」
原作漫画
【自宅にてTV】
「もののけ姫」「火垂るの墓」「天空の城ラピュタ」「未来少年コナン」などジブリ作品の美術を手掛けた山本二三氏の監督作品。
近年では「時をかける少女」のリメイクアニメの美術も担当してる。
結論から言えば、美術監督はどんなにキャリアがあっても美術監督で、優れた職人なのは確かだけれど、総合演出が出来る演出家ではない。
この作品を観ると宮崎駿が如何に偉大か分かる。
まず、キャラクターに魅力が全然ない。
書き割りのような質感だ。
原作の漫画は読んだことはないが、例え原作漫画のキャラが立っていなくても、もう少し魅力的なキャラクター造形には出来なかったのだろうか?
外見の造形だけでなく内面もおかしい。
如何にも大人が想像した“現代っ子(死語)”の主人公だが、圏外になってしまうからといって、あんな簡単に携帯を捨てるだろうか?
一般的に有り得ない様に思う。
物語の起点したいのだろうが、強引過ぎる。
主人公が身を寄せる実家のお婆さんだが、見た目があんなに普通なのに、屋根裏に膨大な数の呪術道具を持ってるって、唐突過ぎないだろうか?
見た目は普通だが実は・・・みたいな演出が必要なのではないだろうか?
さらに、地元の学校の生徒の中に戦中派がいる(笑)。
何だ、あの坊主頭にダルダルのランニングシャツは(笑)。
「トトロ」や「火垂るの墓」にもあの感じの子供は出てきたが、時代が違うだろ!
田舎の男の子と言えば坊主頭にランニングってベタにも程がある。
考えて映画を作ってるようには思えない。
また、この男の子(ダイスケ)がダム建設を阻止するにあたり、それまではガキ大将キャラだったはずが、急に左翼っぽくアジッたりするのだ。
説教臭いし、人格が統一されているように見えない。
右翼でも左翼でもどちらでも良いが映画として、まともであってほしい。
また、このTV映画の売りであるジブリ作品の美術を手掛けた監督の作品であるから、TV映画とは言え背景画はさぞ素晴らしいものに違いないと思ってしまうが、ジブリ作品とは予算も動員しているスタッフも製作日数も違うだろうから、当然見劣りする。
※そもそもジブリの背景画スタッフが描いてるわけじゃない。
なのでこの部分を大々的に宣伝してしまうと、観た時の落胆も大きい。
確かにTV映画としては緻密な背景画だったけど、背景画が観たくて映画を観る訳ではない。
全編を通して画面の質感も内容も、学校で観た教育アニメみたいだ。
ステロタイプで説教臭く、映画としてのダイナミズムに欠けている。
伏線や契機が唐突で、または全然無く、さも当り前のようにおかしな出来事が起こっている。
視聴者を置いてけぼりである。
そして、至る所にジブリ作品の引用と思われるところがあるが、敬意を表して引用しているようには見えない。
草のトンネルを抜けると御神木がある展開は「トトロ」だろうが、本家のような異質な世界へと繋がる契機にはなっていない。
現実の世界とファンタジーの世界を行き来するこの手の作品では、この部分が一番重要であると思うのだが、本作ではそのように重要なシーンには見えず、ただ単に草のトンネルを通り抜けただけにしか見えない。
他にも、先の「火垂るの墓」的な坊主頭やダム建設業者の手先と戦うシーンの主人公が「もののけ姫」風だったりと引用しまくりだ。
そのどれもが、成功してるようには思えない。
これでは本家のジブリ作品の価値までも下げてしまいそうだ。
本作はジブリ作品の二番煎じと言われても仕方が無いような映画だった。
もし、自分が小学生位の年齢でこの作品を観たとしても、きっと退屈しただろう。
【関連サイト】
□ミヨリの森:公式サイト
http://wwwz.fujitv.co.jp/miyori/index.html
8月 27, 2007 at 03:01 午前 映画・テレビ | Permalink
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2007/08/21
「タラデガ・ナイト オーバルの狼」-ほぼ実写版カーズ。が、日本未公開もわかる気がする。-
【自宅にてDVD】ネタバレします。
映画秘法のレビューで気になりレンタルした。
アメリカの日本未公開コメディ映画だ。
確かに面白かった。
話の筋はピクサーの「カーズ」に良く似ている。
才能溢れるレーサーが天狗になり、当然挫折し、その後仲間の助けを借りて再起を賭けるという王道パターンだ。
「カーズ」の主人公は一流だがエリート臭のする、いけ好かないヤツだったが、本作の主人公はレーサーの才能以外はホントにバカだ。
短絡的で車以外はセックスのことしか頭になく、ファストフードしか食わない。
周りの人々も主人公と同等におバカ揃い。
かなりデフォルメされているがアメリカ人の典型として描かれている。
これに対し、主人公のライバルは映画「ボラット」で知名度を上げたサシャ・バロン・コーエンが、F1から移籍してきたフランス人ドライバーを演じる。
こちらはこちらで、典型的なアメリカ人がもっとも嫌う典型だ。
ヨーロッパ人でフランス訛りの英語を話し(嘘っぱちだが)、カミュの異邦人を読みながらレーシングカーを運転し、おまけにゲイだ。
そして、アメリカ人を野蛮人と見下している。
観客が共感するのは主人公だが、この映画自体は主人公が代表するアメリカまでコケにしているので、実際のオーバルレース好きのアメリカ人が観たら、笑うに笑えず気分が悪いのではないだろうか、途中までは。
挫折から再起を賭けレースに挑む、中盤からラストにかけての展開で、そんな不愉快な感じも、きっと吹き飛ぶだろう。
フランス人ドライバーとも打ち解けるし。
だだし日本人の僕からすると、このラストで冷めてしまう。
決定的なのは主人公のガッツポーズにアメリカ国旗がオーバーラップするシーンだ。
結局、アメリカ万歳の映画になってしまった。
主人公のガッツポーズだけではダメだったのだろうか?
確かに今作はアメリカに対する愛憎綯い交ぜの映画だから、最終的にはアメリカ万歳にしなければオチにならないかもしれない。
この辺が日本未公開になってしまう理由の1つじゃないだろうか。
要するに“アメリカ臭”が強すぎる。
じゃあ何で「パールハーバー」が公開出来るんだという問題もあるが(笑)。
こちらはド派手なVFXもあるし、ラブストーリーという売りもあったからだろう。
しょうもない映画だったが。
「タラデガ・ナイト オーバルの狼」は派手なVFXは無いし、役者も地味だし、当然だがラブストーリーではない。
この映画と比較するとピクサーは上手くアメリカ臭を消している。
アメリカのテイストを残しながらも、大体何処の国の人々が観ても楽しめるように作ってある。
もっとも映画制作のスタートラインが違うのだろうけど。
ピクサーは世界配給が基本だろうが、この映画は基本的にアメリカ国内向けだ。
しかし、今作のような日本未公開作品を観ると、濃いアメリカを堪能出来るし、また劇場公開作が如何に洗練されて作られているかを知る事が出来るので、観て損は無い。
最後に“ハイランダー”のくだりは笑った。
【関連サイト】
□タラデガ・ナイト オーバルの狼:公式サイト(英語)
http://www.sonypictures.com/homevideo/talladeganights/
8月 21, 2007 at 02:53 午前 映画・テレビ | Permalink
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2007/08/03
「フライト・オブ・フェニックス」-デニス・クエイド、灼熱後に超氷河。災難俳優だな-

【自宅にてTV】
テレビ東京、木曜洋画劇場2000回記念スペシャルで観る。
前半30分くらい見逃す。
オリジナル「飛べ!フェニックス」は観ていない。
デニス・クエイドは本作で灼熱砂漠を味わった直後に「デイ・アフター・トゥモロー」で超氷河を体験。
ご苦労さんです(笑)。
しかし、数万年前に砂漠も氷河も同時に味わってはいるが「おかしなおかしな石器人」(こっちはホントにカチンコチン)で。
彼の演ずる役の多くは力強くリーダーシップを発揮し、ちょっとオチャメで憎めない。
失敗はするが必ず立ち直る。
アメリカ人が望むアメリカ人を体現しているような気がする。
※おかしなおかしな石器人は違うが(笑)。
一言で言うと“良き父”と言う事だろう。
前半見逃して良く分からないが、僕が観た範囲では主人公の家族は出てこない。
しかし、「家族の許に帰ろう」と皆を奮い立たせ困難を乗り越えるのだ。
「デイ・アフター・トゥモロー」になると息子を救出に向かうストーリーなので、もっと直接的だ。
さらに一番新しい出演作のタイトルは「アメリカン・ドリームズ」で大統領役、そのまんまだ(笑)。
この作品、未見だがブラックコメディらしいので、きっと大統領をコケにしているのだろう。
その大統領を演じているのだから、自分がどんなキャラクターとして見られているのか自覚的だ。
似たタイプはトム・ハンクスかな。
ちょっとシャイだが。
このタイプと正反対なのが、今作でジョヴァンニ・リビシ演ずるエリオットだ。
ひ弱で理屈っぽく、尚且つ傲慢だ。
まぁ、最後には皆が思っている通り、いい人になるのだけれど。
典型同士の対決、そして融和。
ある意味、「少年ジャンプ」的な映画だった。
殆どオッサンしか出てないけど。
【関連サイト】
□木曜洋画劇場2000回記念:公式サイト
http://www.tv-tokyo.co.jp/youga2000/index.html
8月 3, 2007 at 12:41 午前 映画・テレビ | Permalink
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2007/07/29
「殺人カメラ」-善意の暴走。まんま、(DEATH NOTE デスノート)だった。-
【自宅にてDVD】
巨匠ロベルト・ロッセリーニの1948年の作品。
ホラーっぽいタイトルだが、喜劇だ。
しかし、内容は「DEATH NOTE」そっくりだった。
貧困に喘ぐ村のしがない写真館の主人が聖人から、ある能力を授かる。
その能力とは狙いを定めた対象(人、生物)が写った写真を再撮することで、その被写体を写真に写ったポーズのまま殺す事が出来る能力だ。
写真館の主人はその能力で暴利を貪る村長やら高利貸しやらを殺しまくる。
そして、その能力を授けた聖人は実は・・・、みたいなストーリーだ。
あくまでも写真館の主人は善意により殺人しまくる。
途中までは“夜神月”と全く同じだ。
ただし、こちらは悪人を殺す為に村中を駆け回る様がドタバタタッチで描かれている。
また、“夜神月”のように自己保身よる鬼畜化はしないけど。
さらにラストで、どんでん返しがあるのだが、その情けない感じが笑いを誘う。
DEATH NOTEと比べて鑑賞すると面白いかもしれません。
7月 29, 2007 at 12:45 午前 映画・テレビ | Permalink
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2007/07/28
「スキャナー・ダークリー」-切ないラストにグッと来る、秀作。-
【自宅にてDVD】ラスト、ネタバレします。
舞台は現実より7年後の世界。
上手い言い回しだ。
何時の時代の誰が観ても(読んでも)近未来。
映画に設定される近未来が、どんどん現実に近づいている印象を受けるが、とうとう7年後か。
覆面麻薬捜査官の主人公が、自分で自分を監視するはめになってしまい、且つ、ある思惑に巻き込まれていく。
非常に曖昧で怠惰な世界。
この映画の監督の前作「ウェイキング・ライフ 」は観ていないのだが、前作同様に実写をアニメ化する“ロトスコープ”という手法は、この映画にぴったりだった。
見慣れた俳優がセル画の質感で動いているのは確かに違和感がある。
でも、この違和感こそが重要で、実写のようなアニメのような、しかし、セル画風と言えど一般的なアニメほどデフォルメされていない、どっちつかずの非常に曖昧模糊とした感覚。
この手法自体が、この映画の核とも言える。
そして、今作で特長的なアイテムと言えば、覆面麻薬捜査官が着用している何千パターンの人物を表面に映し出し、個人を特定出来ないようにしているスクランブルスーツなのだが、これには疑問を持った。
何も何千パターンも映し出す必要は無く、極端な話、真っ黒でもいいじゃないかと思ったのだが、柳下毅一郎氏(ファビュラス・バーカー・ボーイズ:映画欠席裁判 )が、
「あれは麻薬中毒者の幻覚の隠喩だ」(※うろ覚えなので正確ではないです。)
と発言されていて、なるほど!と納得がいった。
また、役者陣だがキアヌ・リーヴスが常に憂鬱な主人公にハマっていた。
脇を固めている麻薬中毒者役のロバート・ダウニー・Jr、ウディ・ハレルソン等も上手い。
特にロバート・ダウニー・Jrの演技は実写でも観たかったと思った。
ディック作品は「ブレードランナー」にしろ「トータル・リコール」にしろ今作しろ、登場人物の自己の存在が常に揺らいでいる。
確固たる自己を証明出来ないでオロオロしてる。
DVD特典のディックのインタビューを観ると、管理社会に対する恐怖の側面が主題みたいだが、今作で一番共感を覚えるは、やはり自己の不確かな感覚についてだ。
麻薬常習者でなくとも、自分を完全に肯定出来る人は、そんなにいないのではないかと思う。
普段はそれなりに忙しいので、そのような事は考えなくてもよく、やり過ごせるからだ。
しかし、本当はこの主人公と自分はそんなに違わない。
不確かな世界を不確かなまま生きている。
この感覚が先進国と呼ばれる国の人々には共通感覚としてあり、だからディック原作の映画が後を絶たず製作されるように思う。
まぁ、そんな感覚は持った事がないという人々も当然いるだろうし、そっちのほうが大多数だろうが。
【ネタバレ】になるけど、麻薬にヤラれて廃人になった主人公が、その壊れた頭に浮かんだ友人に対する純粋な想いが、結果的には事件の真相を暴く事になるだろうという、余韻を残したラストがとても切ない。
そしてレディオヘッドのエンディング曲がまた良い!
“Fog(霧)”という曲で、まさに五里霧中な捉えどころのない感覚を生きる人物を描いた映画には、ピッタリだった。
【関連サイト】
□スキャナー・ダークリー 公式サイト
http://wwws.warnerbros.co.jp/ascannerdarkly/
7月 28, 2007 at 11:06 午後 映画・テレビ | Permalink
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2007/07/26
「どろろ」-オープニングは野心的だったのだが・・・-
【自宅にてDVD】
当然、期待して観たわけではないのだが、オープニングの残党狩りのシーンは、この手の劇場映画としては残酷に描写している。
乱世の世界を描くにあたり“ぬるくは撮らない”という塩田明彦監督の野心を感じたのだが、良かったのはここまでだった。
やはり柴咲コウ演ずる“どろろ”に違和感があり過ぎる。
成人した女性があの口調で喋らないだろ、普通。
当り前だが劇中では誰一人として、その不自然さにつっこみを入れない。
何故、“どろろ”は泥だらけなのか、その事についても描かない。
女である事を隠す為に風呂に入らないからだが、柴咲コウでは誰が見たって女だ。
(※原作ではもう1つ理由がある、こちらのほうが重要だったりする。)
女であると簡単に分かってしまっては、“どろろ”というキャラクターの根本が崩れてしまう。
実際、崩れているのだが。
スクリーンに映っているのは“どろろ”もどきの不潔で少し頭のオカシイ成人女性ということになる。
主要人物が“もどき”なのだから映画自体も“もどき”になってしまった。
しかし、「日本沈没」といい、今回といい柴咲コウは違和感のある役ばかり演じているな。
人気を当てにされるというのも女優としては不遇だ。
日本にラジー賞があれば、間違いなく主演女優賞を受賞するだろうから。
妻夫木聡演ずる“百鬼丸”は“どろろ”の不自然さの影に隠れて、まったく印象が残らない。
今作は大金を懸けた映画だと思うのだが、VFX、特撮のショボさは何なのだろう。
自分は今、劇場版「漂流教室」を観ているのかと錯覚したほどだ(笑)。
「漂流教室」は子供の頃観た時に、かなりガッカリしたが、今作もそれに相当する。
僕はレンタルだからまだ良いが、劇場で1,800円払って観たら金を返せと言いたくなる。
明らかに人が入っている着ぐるみの怪物に柴咲コウが跨って、ポカポカやってる絵を見せられて、僕はどうすれば良いのだろうか?
あの着ぐるみ怪物は過去の特撮モノに敬意を表して、狙ってやっているのだろうか?
かなり観る人を凹ませる絵面だった。
土屋アンナ演ずる“鯖目の奥方”の変身CGも、もう少し何とかならなかったのだろうか?
確かにハリウッド製とは、時間も金もスタッフの人数も桁が違うだろうから、単純に比べてもしょうがないが、宣伝だけはハリウッド並みにするのだ。
だから、実際の映画のショボさが余計に目に付くのだ。
また妖怪との戦いのシーンで延々と流れている、ジプシーキングス風の音楽は何だ?!
たぶん、製作者のイメージとしてはマカロニ・ウェスタンというか、アントニオ・バンデラスの「デスぺラード」というか、荒野に無頼が二人みたいな感じでラテン調の音楽にしたのだろうけど、映像に合ってるとは思えない。
音楽もまた“もどき”なのだ。
核の無い表層だけが、どろろ風の“もどき”映画だった。
7月 26, 2007 at 02:47 午前 映画・テレビ | Permalink
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2007/05/01
「ロッキーからトロイまで」-最近観た映画をバラバラと-
「ロッキーからロッキー5まで」
夜中、放送していたものを結局全部観てしまった。
やはり1.2.3.までが素晴らしいね。
トレーナーのミッキーの声だが、本人と吹き替えがソックリなのは、何回観ても驚く。
「キャノンボール2」
これも深夜放送で。
久しぶりに観たが面白かった。
つーか、小学生の時に映画館で観たような気がする(笑)。
久しぶりどころじゃないな。
allcinemaの評価がメチャクチャ低いのだが(笑)、このユルイ感じは今観ると非常に新鮮だ。
お正月映画の王道、横綱相撲という感じだ。
それに何と言っても、吹き替えが最高。
素晴らしい、キャラが立っている。
近頃はアニメでも有名俳優やタレントを使うが、声優の素晴らしさを見直したほうが良いと思った。
特にジブリ!
しかし、若い人で所謂、アニメ声じゃない声優を目指す人っているのかな?
「ハード キャンディ」
【自宅にてDVD】
少女版必殺仕置人だった。
いまいち背後の人間関係がよくわからない。
主人公の少女は行方不明になった少女の友人だったのか?
少し前に観たので、もう忘れてしまった(笑)。
まぁ、あまり印象に残る映画ではなかった。
「エコール」
【自宅にてDVD】
監督はギャスパー・ノエの公私にわたるパートナーとか、何も知らずに観たのだが、これもパッとしなかった。
“少女達の無垢なエロティシズムを映像化”みたいな口上が付くのだろうが、その割には少女達を大雑把に撮ってるような印象を受けた。
下着さえ着けとけば、どう撮ってもOKだろうみたいな感じ。
景色の映像は確かに美しいのだが。
ふと思ったが、これを観るのだったらニコラス・ローグ監督の「WALKABOUT 美しき冒険旅行」のほうが、ずっと良い。
タイプが全然違うが。
あと、エンドロールで“ギャスパーに捧ぐ”と出ていたが、自分のパートナーに捧げちゃうのも、よくわからん(笑)。
まぁ、大変お世話になっているのだろうね、良く知らんが。
「怨霊の森」
【自宅にてDVD】
「MAY -メイ-」がとても良かったので期待して観たラッキー・マッキー監督の作品であるが、「MAY -メイ-」のほうが面白かった。
人里離れた全寮制の女子校モノと、殆ど「エコール」と被っているが、こちらは高校かな?なので、ちびっ子は出てこない。
どうでもいいが(笑)。
「MAY -メイ-」を観た時も思ったが、このふざけた名前の監督、日本の少女漫画を結構、読んでいるのではないかと思った。(翻訳されていればの話しだが)
古いだろうけど人里離れた女子校って、少女漫画の典型じゃないかな。
そもそも監督の名前を見るまでは女性の監督だと思っていたのだ。
それくらいに繊細に撮る監督だと思う。
特に「MAY -メイ-」だが。
今作は女子校モノのお約束、金髪優等生VS黒髪劣等性や、その後のどんでん返しなど盛り沢山ではあるのだが、繊細さが薄れたように思われる。
ジャンル的には確かにホラーなのだが、あまりそこに固執しなくてもいいように思った。次回作に期待だ。
「閉ざされた森」
【自宅にてTV】結構、前に観た。
また森モノ(笑)。
まぁ要するに黒澤明監督の「羅生門」なのだが、だったら「羅生門」観るよなぁ。
「テキサス・チェーンソー ビギニング」
【自宅にてDVD】
コンビニ弁当を食べながら観たのだが、冒頭の破水のシーンはさすがに飯が不味い(笑)。
新進気鋭の監督作だけあって、構図などカッコよく非常にスタイリッシュではある。
が、そこがつまらない所でもある。
スタイリッシュに撮ってしまうと、恐怖度や不条理感が薄まると思うのだが。
もっと愚鈍でいいからジリジリ迫るようなホラーが観たい。
レザーフェイスがナイフでスッと女の喉を切ってしまうのだが、そんなにスマートでいいのか、レザーフェイス!
その割りに男は延々と嬲る。
普通、逆じゃないかな(笑)。
何かこの辺はメジャー映画の規制って感じがする。
とにかく、あっさりし過ぎてる。
そう言えば「パフューム ある人殺しの物語」と冒頭が殆ど同じだった。
嗅覚の天才と肉切りの天才(笑)、共通点多し。
「トロイ」
【自宅にてTV】
観てて思ったが、ウォルフガング・ペーターゼン監督が「北斗の拳」を撮ればいいんじゃないだろうか。
覇権を握ろうとする男達と一匹狼。
一人の女性を巡る設定など、内容的にも殆ど一緒だ。
男気を撮るならばウォルフガング・ペーターゼン監督だろう。
5月 1, 2007 at 01:47 午前 映画・テレビ | Permalink
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2007/04/30
「パフューム ある人殺しの物語」-“古典”meets“ウッドストック”。-
【吉祥寺にて】だいぶ前に観たのだが、書きそびれた。
18世紀のパリが舞台だが、主人公の香水調合師を生化学者に、香水をドラッグに変えれば現代劇に置き換え可能。
ただ、そうなると画面の質感が貧乏臭くなると思われるので、おすぎは絶対褒めないだろうが(笑)。
この時代設定が幅広い年齢層に受け入れられる秘訣だろうか。
この映画の難関、匂いの表現だが、映像では伝わらない匂いを観客に感じさせる為に、色彩の鮮やかさと匂いの発信源までシームレスでズームする方法で表現。
後は役者の鼻芸だ。
この為にダスティン・ホフマンはキャスティングされたのだろう。
あのデカイ鼻をクンクンする様は絵になる。
脇に逸れるが、ダスティン・ホフマン扮する香水調合師が住んでいた橋の町は非常に美しかった。
パンフレットで滝本誠氏も書かれていたが、例のすっぽんぽん男女の大量入り乱れシーンは、まんまウッドストックだ。
“ラブ&ピース”である。
そこで主人公は幸福感を与える全能者、神にもなれたのだがそうしなかった。
全ての人々に法悦を“私”が与えているのだと強烈な自意識の元、ナルシスティックな死を迎えるのではないかと想像したが違った。
もっと慈愛に満ちたものだった。
彼が取り憑かれていたのは“永遠”だ。
消えてしまう生命の匂いを永遠に留めたい。
彼にとって匂いとは生命そのものだ。
“生命の匂いを留める事”と“永遠の命”はイコールになる。
彼はそれを独占したかったわけだが、最終的には自らをもって分け与える事となる。
非常に普遍的で古典的な主題だ。
それを新しい切り口でみせた映画だった。
面白かった。
何故か「ファントム・オブ・パラダイス」を思い出したが、全然関係ないか(笑)。
しかし、この監督は赤毛が好きだなぁ。
「ラン・ローラ・ラン」はパンク姉ちゃんが主人公だから、赤く髪を染めてる設定だと思っていたが、今作を観るに付け、こりゃ監督の好みだな、きっと。
原作でも赤毛なのだろうか?
【関連サイト】
□パフューム ある人殺しの物語:公式サイト
http://perfume.gyao.jp/
4月 30, 2007 at 10:12 午後 映画・テレビ | Permalink
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2007/03/28
NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」“映画を創る~宮崎駿・創作の秘密~”-観た。-
ジブリはこれまで、映画公開前にここまで手の内を晒した事があったのだろうか?
主人公のポニョまで晒して、そしてそれが「ニモじゃねーか!」という、つっこみが入ることも分かった上での放送だろう。
これまでも映画公開前には制作日誌的な番組は放送されてきたし、その中でジブリのスタッフを叱る場面はあったと思うが、宮崎駿監督本人がジブリ以外のスタッフ(ここではNHKディレクター)に文句を言ってる映像など無かったように思う。
それも、ステテコ姿でだ。
たぶん、ジブリは追い込まれている。
「ゲド戦記」も評判悪いし、宣伝材料も無いのではないかと思う。
そして頼ったのが映画では無く、人間、宮崎駿そのものだろう。
柔和な冒頭から終盤の鬼気迫った表情まで確かに魅力がある。
胸の内にグツグツと煮えたぎった物を持っていると、見る人に感じさせるからだ。
人間、宮崎駿に興味を持たせて、映画も観てもらおうという事かもしれない。
しかし、これで最後の奥の手を出してしまった。
もう後が無いジブリが作る「崖の上のポニョ」は、面白いかもしれない。
極めた細密な絵を捨てるという決断が、吉と出るか凶と出るかは分からないが。
※「ゲド戦記」も、それまでのジブリとは背景の画風を変えたはずだが、それが僕にはダメだった。
今回、このように手の内を晒すことで、こちらの意識を慣らす戦法かな。
3月 28, 2007 at 12:00 午前 映画・テレビ | Permalink
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2007/03/24
「ホステル:HOSTEL」-暗闇はやはり映画館だな。-
【自宅にてDVD】
イーライ・ロス監督の前作「キャビン・フィーバー」も観たのだが、典型的なホラーだなぁという印象しかなかった。
しかし巷の、且つ批評家の評判は良かったはず。
今作は前作以上に前評判が良く、気になってレンタルしたのだった。
が、話題のゴアシーンであるが家のテレビでは、ほぼ真っ暗で何が起こっているのか全然分からない。
叫び声を頼りに想像するしかない(笑)。
最近の液晶やプラズマテレビは暗闇のシーンでも、ちゃんと再現するのだろうか?
テレビにとって、黒の色調はもっとも苦手なはず。
また、当然だが映画は映画館だと強く思った。
なので、ゴアシーンの出来については正直よくわからない。
が、それを差し引いても喧伝されているほどゴアシーンのみを売りにしている映画には思えなかった。
この映画全体に占めるゴアシーンの割合も、それほど多くないように思える。
「ハイテンション:HAUTE TENSION」を観た時にも思ったが、あまりゴアシーンばかりを宣伝材料にすると、逆に不評を買うことにならないだろうか。
現に「ハイテンション」も思っていた程では無かった。
今作「ホステル」もゴアシーン以前に良く出来た真っ当な映画であり、そちらで驚かされる。
何気ない会話や行為の伏線も後々ちゃんと効いてくるし。
性欲満タンのボンクラが男女問わず、快楽の国スロバキアを目指し、逆に鬼畜達の餌食にされるという展開も、バックパッカーやレイブパーティーが浸透している現代の状況を上手く取り入れている。
「トレインスポッティング」以降に生まれたホラー映画といった感じだ。
なので、ゴアシーンのみを目当てに観た人にとっては退屈に映るかも。
それにしても、名も無い綺麗な女優さんが惜しげもなくガンガン脱いでる映画は、それだけで価値があるような気がした(笑)。
ヌードなど巷に溢れかえっているのだが、東欧女性の独特な雰囲気と体のラインが綺麗だったせいかもしれない。
【関連サイト】
□ホステル:公式サイト
http://www.hostelfilm.jp/
3月 24, 2007 at 10:10 午後 映画・テレビ | Permalink
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「トゥモロー・ワールド」-まるで、イラク戦争の報道映像を観ているような。-
【自宅にてDVD】ネタバレします。
渋く地味な映画だった。
でも、それが良い。
面白かった。
原因不明により子供が生まれなくなった近未来、世界は荒廃し、辛うじてイギリスだけが国としての体裁を保っていた。
そんな世界でたった一人の妊娠した少女を救う為に、主人公は奔走する事になる。
まず、この主人公(クライヴ・オーウェン)が、やる気が無い。
荒廃しきった世界で、やる気を見せろと言うほうが無理なのだが、会社を適当な理由で早退し、ヒッピー崩れの友人のもとに入り浸って、ハッパを吸っている。
一見すると、この主人公は学生運動で革命を促すが夢破れ、息子を亡くし妻とも離婚してる過去があり、且つ世界がこんな状況なので無気力なように見える。
だが、このやる気の無さには僕自身にとっても思い当たるふしがあり(笑)、この主人公の有様は極端ではあるが、現代人の反映として描かれている。
誰もが夢や希望に向かって生きている訳でもなく、厄介な問題には眼をつぶって適当にやり過ごしているだけだからだ。
当然、夢や希望に満ち溢れ、現代社会の諸問題にも眼を向けまくっている意識の高い人もいるだろうが極少数だろう。
今作は主人公の設定だけではなく、映画全体が首尾一貫して現代の反映を意図している。西暦2027年という、近未来と言うにはあまりにも近すぎる設定もそうだし、ホワイトカラーの人々は裕福だが憂鬱な日々を過ごし、中流層は現実に流されるばかりで何も出来ず、貧しき者は暴徒と化す。
ちょっと前に起こったフランスの暴動や、世界各国で頻発するテロを何も考えずとも思い出させる。
(※原作発表が1992年で当時としては35年後なのだが、「ブレードランナー」の頃から比べると近未来の時間設定がかなり現代に近い。)
また、今作で話題の1カット長回しの戦闘シーンも、誰もがイラク戦争の報道映像を思い出すだろう。
ここまで、徹底的に現実を反映させたエンターテイメント系映画も珍しいのではないだろうか?
スピルバーグ監督の「宇宙戦争」が、かなり意識的に9.11テロを取り入れたが、世界の現状そのものを映画に押し込めたという意味では、今作のほうがレベルが上がっている。
子供が生まれない世界というのはSFにはよくあるパターンだろう。
しかし、人物の設定とリアリティに徹した演出が、この映画に説得力を持たせている。
ちょっとキリスト誕生を意識してる感じはするが。
また何故、子供が生まれないのか、何故一人の少女だけが妊娠したのか、ヒューマン・プロジェクトとは何なのか等、何も解き明かされない。
Yahoo!映画などのユーザーレビューを拝見すると、それに対して不満があるようで、だからこの映画は消化不良でつまらない、というレビューもあったが、そんなことはないと思う。
原作を読んでないので分からないが、たとえ原作では謎が解き明かされていたとしても、この映画の製作者が着目したのは謎解きではないだろう。
一人のダメ男の視点から未来への希望と再生を主題にしたのだから。
謎解きをメインにしたければ「ダ・ヴィンチ・コード」のような映画にしたはず。
(※あれこそ、つまらない映画だと思うのだが。)
今作について映画評論家の町山智浩氏が映画秘宝.comで詳細に解説しています。
この解説で要点は、ほぼ掴めるはずです。
(※ポッドキャスティングです。)
原題「CHILDREN OF MEN:人類の子供たち」であるが、昨今は女性差別の観点からmenを使わずにpeople、humanを使用する傾向にあると辞書にあったが、仮にそうだとすると、原作は主人公と少女の関係性を考えて、敢えて古い用法を使った事になる。
そうだとすれば、邦題も原題のままが良かったのではないだろうか?
まぁ、僕は原作も読んでいないし、そもそも英語自体がダメなので正確には分からないが(笑)。
ピンクフロイドのアルバムジャケに使用された、工場をロケ地に選んだり(※ピンクの豚まで飛ばしてる!)、キング・クリムゾン、ローリング・ストーンズの「Ruby Tuesday※カバーかな」、ジョン・レノンをサントラで使用したりと、オヤジロックではあるが音楽好きな人も楽しめる映画だ。
取り留めのない文になったが、骨太な良い映画だった。
「ブレードランナー」のように時が経つにつれて評価が上がっていくと思う。
【追記】
やる気のない主人公を観ていたら、こちらもイギリス産のゾンビパロディ映画「ショーン・オブ・ザ・デッド」を思い出した。
ちょっと今作と似てるかもしれない。
大変面白い映画だった。
【関連サイト】
□トゥモロー・ワールド:公式サイト
http://www.tomorrow-world.com/
□映画秘宝.com:町山智浩のアメリカ映画特電
http://www.eigahiho.com/podcast.html
3月 24, 2007 at 06:15 午後 映画・テレビ | Permalink
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2007/03/21
「ヨコハマメリー」-妖精は妖精のままで、か?-
【自宅にてDVD】ネタバレします。
横浜の街角に立つ、白塗りの老婆。
彼女は娼婦であり、「ハマのメリーさん」と呼ばれていた。
そして、ある日忽然と姿を消すのである。
そんな彼女に関わりを持った人々の回想から、このドキュメンタリーは始まる。
彼女は何処から来て、何処に行ってしまったのか?
僕はてっきり、メリーさんの実像に迫るドキュメンタリーかと思っていたのだが全然違った。
この映画にそれを期待すると拍子抜けしてしまう。
メリーさんを巡る人々の回想と、彼女の生きた戦後史に終始する。
普通は対象に肉薄し、相手が最も触れてほしくない所に土足で踏み入ることすら、やぶさかでないのがドキュメンタリーの典型だと思うのだが、中村高寛監督はそれをしない。
忽然と姿を消したとあるが、その消えた経緯もメリーさんの実家さえも監督は知っている。
さらに映画の後半、まるで憑き物が落ちたかのように白塗りをやめ、可愛らしい上品なお婆さんとなったメリーさんを撮影していながら、本人の口から何ら語らせようとはしない。
何故だろうか?
監督が撮影当時30歳と若いからか?
それも理由のような気がする。
今作を観た直後は、きっとこの監督はやさしい人なのだろう思った。
撮影対象を傷つけ身ぐるみ剥がすようなことはせずに、映画を撮ろうと思ったのではないだろうか。
それはまるで、メリーさんの周辺の人々がメリーさんに向けていた眼差しと同様であるかのように。
そしてそれを観客にも追体験させようとしたのではないだろうか。
英語では[shooting]と言われる映画撮影だが、確かに対象は撃たれ傷つくのだ。
しかしそれをしなければ、普通は面白いドキュメンタリーは作れないと思うのだが。
監督はそれをしなかった。
妖精は妖精のままにしておきたかったのだろう。
撃ってしまってはオーラが消えるから。
と、思っていたが、公式サイトの監督メッセージを読んだら答えはもっと簡単だった。
“監督は神奈川の生まれで中学生の頃からメリーさんを知っていた、そして彼女に対して近寄りがたい雰囲気から畏怖の念を感じていた。
しかしその畏怖の対象であるメリーさんと関わりのある人々を知り、この人々に強い興味を持った。
そして、このドキュメンタリーではメリーさんを通してヨコハマの一時代を浮き上がらせたい。”
要約するとこんな感じだと思うのだが、確かに今作はこの通りだった。
監督の興味の対象は“メリーさんの周辺の人々”であり“ヨコハマ”である。
メリーさんはこの映画では殆ど狂言回しの役割なのだ。
一番、彼女と深い関わりを持った末期癌患者のシャンソン歌手・永登元次郎さんが、この映画の実質的な対象・主人公である。
そして、今は駐車場となっている場所にあったGI専門大衆酒場「根岸家」を中心とした当時の状況を丹念に紐解いてみせる。
確かに横浜の戦後史を綴った映画としては面白いのだが、「ヨコハマメリー」というタイトルと、その姿に興味を抱いた人にとっては消化不良ではある。
「ヨコハマメリーとその時代」みたいなタイトルが正しいと思うのだが、確かにインパクト弱いなぁ(笑)。
消化不良感はありますが「根岸家」のくだりなどは大変面白く、日本の隠れた戦後史を知るという意味においては観る価値は十分あります。
※公式サイトでクレイジーケンバンドの横山 剣氏が
「互いの出自や過去や嘘やこれからを深く詮索しないのは薄情からではなくハマッコのデリカシーからだ。」
とコメントを寄せていますが、このドキュメンタリーの全てのような気がする。
まぁ、ドキュメンタリーそのものを全否定するようなコメントですが(笑)。
また、「根岸家」で働いていた三味線奏者:五木田京子さんの演奏が特典映像に納められていますが、大変素晴らしいです。
永登元次郎さんのシャンソンもあります。
【追記】
クレイジーケンバンドの2005年のアルバム「SoulPunch」の特典DVDに、横山 剣氏が若かりし頃の当時を振り返る映像が納められているのだが、これも大変良いです。
現存する、または今はもう無いライブハウス等を横山 剣氏がバイクで案内してくれます。
当時を知らない、または横浜生まれではない人にとっては非常に貴重な映像だと思います。
【関連サイト】
□ヨコハマメリー:公式サイト
http://www.cine-tre.com/yokohamamary/
□クレイジーケンバンド:公式サイト
http://www.crazykenband.com/
3月 21, 2007 at 04:55 午後 映画・テレビ | Permalink
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2007/03/11
「映画ドラえもん のび太の恐竜2006」「ディープ・インパクト」-反米 VS 全米(笑)。-

【自宅にてTV】
「映画ドラえもん のび太の恐竜2006」のオリジナルは観ていない。
劇場用作品第1弾で名作みたいですね。
で、リメイク版の今作だけど、冒頭スネオの部屋の1ショット長回しのシーンからして、製作者の気合が感じられる。
実写で1ショット長回しは難しい撮影なのは当然だけど、きっとアニメでも難易度は高いだろう。
キャラクター・ストーリーはオリジナルのままなのだろうか?
悪役の黒マスクだが、これは明らかにアメリカ人だよな。
アメリカ人て言うかアメコミのヒーローがベースだろう。
たぶん、マスクの穴の感じからするとキャプテン・アメリカだと思うのだが。
それにテンガロンハットだし二挺拳銃だし、アメリカを代表するアイテムで構成されいる。
恐竜ハンターだからという理由だけで、この造形にしたのだろうか?
オリジナルの造形を知らないので何とも言えないが、意図的にアメリカン・ヒーローを悪役にした印象を受ける。
当然、現代社会の反映として。
手付かずの白亜紀を、己の欲望の為に蹂躙するアメリカン・ヒーロー。
かなり極悪な印象だったのだが。
また、のび太が育てたピー助も日本近海に棲息していたフタバスズキリュウで、アクシデントにより北米にタイムトラベルしてしまったピー助を日本に連れ戻そうとする。
なんか意味深だなぁ~(笑)。
ただの恐竜のお話しには思えないのだが。
オヤジとなった僕の深読みに過ぎないのか?
キャラクター造形もストーリーもオリジナルのままだったとしたら、時代が変わったとしか言いようが無い。
現在の状況で観てたら、反米映画として受け取るけどなぁ。
オリジナルも観てみようかな。
【追記】
のび太が眼鏡を外した時の目だけど、現在は普通の目なのですね。
昔は小さい×印だったような気がしたけど。
何かちょっとショックだった(笑)。

「ディープ・インパクト」こちらは全米全開(笑)。
何回も観てるのにTVでやってると、つい観てしまうな。
近年の「アルマゲドン」等のディザスターものの中では一番まともな印象だ。
製作総指揮をスピルバーグがしているからなのか、または「ジェイコブス・ラダー」のブルース・ジョエル・ルービンが脚本を担当しているからなのか、意外と陰惨だったりもする。
イライジャ・ウッドはこの頃から既にリングに魅入られていたようだ(笑)。
現実には誕生していない黒人大統領ではあるが神への信仰を訴えたり、教会で夫婦の誓いを立てて危機を逃れようとしたり、彗星を破壊する為のスペースシャトルの名前がメサイヤ(救世主)だったり、かなりキリスト教色が強い。
しかし、あのレポーターの女性を巡る一連の流れは、この映画の中で浮いている。
終盤まで物語を牽引していた人物なのだが、あのような唐突な終わり方は普通しなように思う。
でも、この映画のなかでは一番良い。
これがなかったら、「デイ・アフター・トゥモロー」と大して変わらないバカ映画になっていたはず。
自分の命よりも家族との修復を選び、一時の平安を得るのだが、それを無きものとする圧倒的な破壊力。
その破壊の到来に怯えるレポーターの表情。
このシーンは陰惨だ。
スピルバーグが脚本に捻じ込ませたのかな?
【関連サイト】
□映画ドラえもん のび太の恐竜2006:公式サイト
http://dora2006.com/
□アベンジャーズシリーズ キャプテン・アメリカ 基本DATA マーベルファンクラブ MARVEL FANCLUB
http://www.marvelfanclub.jp/avengers/captain.html
3月 11, 2007 at 10:24 午後 映画・テレビ | Permalink
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2007/02/15
「ミッドナイトムービー」-勉強組にはもってこい。-
【自宅にてDVD】
深夜上映から誕生した、6本のカルト映画のドキュメンタリー。
皆、根気強く映画を撮り続けていた。
技術的には未熟で、フィルム、カメラをオシャカにするなどの失敗をするが、けして諦めない。
※とは言っても、デヴィッド・リンチなどは奨学金を得て制作しているので、未熟のレベルが違うのだが。
彼らが根気強く撮り続けたのは、自分が観たい映画は自分で作るしかなかったからだろう。
この世にまだ存在しないモノを手探りで創造する。
素晴らしい行為だ。
彼らにとって未知なものは、当然、僕にとっても未知なる映画なのでワクワクするのだ。
久振りに「エル・トポ」の映像を観たが、濃い!面白い!
当時はこれらの映画を深夜にハッパを吸いながら観ていたらしい。
良い時代でしたね(笑)。
映画製作者だけではなく、これらの映画に価値を見出した劇場主も偉い。
彼らがいなければ、永遠に日の目を見ない映画もあっただろう。
ディヴァインが犬の糞を食ってるのを観て、
「これはイケる!」
と踏んだらしい(笑)。
いつの世も目利きは必要なのだ。
字幕を追うのが大変だが面白かった。
それにしても、ジョン・ウォーターズは紳士だね。
【関連サイト】
□ミッドナイトムービー:公式サイトなのかな?表示がガチャガチャ(笑)。
http://www.cinemacafe.net/special/midnight-movie/index.html
□stuartsamuelsproductions.com:製作者公式サイト(英語)
http://www.stuartsamuelsproductions.com/
↑プレス用だろうが、このドキュメンタリーで取り上げた映画の高解像度画像が手に入る!(モノクロだけどね)
□デヴィッド・リンチ次回作「インランド・エンパイア」:公式サイト(英語)
http://www.inlandempirecinema.com/
予告編(YouTube)その1
http://www.youtube.com/watch?v=y4hFEDYmMcM
予告編(YouTube)その2
http://www.youtube.com/watch?v=1RPYOtPSnZc
2月 15, 2007 at 01:12 午前 映画・テレビ | Permalink
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2007/02/10
「日本沈没(リメイク版)」-ローレライに続き、またお子様ランチを出してきた。-
【自宅にてDVD】
小松左京の原作も読んでいない。
オリジナルの1973版の映画も、最近になって、やっと観たのだが深夜だったこともあり、途中で寝てしまった。
なので僕はオリジナルには思い入れが無い。
オリジナルを知ってる人にとっては、今回の「日本沈没」はとても酷く映るようだ。
(※たけくまメモ参照)
が、しかしオリジナルに思い入れの無い僕が観ても、これは酷い。
やはり、アニメ・特撮畑出身の監督にはドラマの演出が出来ないのだろうか?
そんなのとは無いだろう、優れたアニメや特撮映画が現にあるのだから。
しかし、樋口真嗣監督の演出は、侮蔑的に言われる“アニメ・特撮畑出身の監督にドラマは無理”という通俗説に甘んじてしまった。
押井守監督が実写映画を撮る時に、
「アニメの方法論で実写を撮る」
と、よく口にする。
それが、成功しているのかどうかは別にしても、明確にアニメと実写の違いを自覚しているのだろう。
その実験が「アヴァロン」であったり「立喰師列伝」であったりするのだろう。
樋口真嗣監督には、この自覚があるのだろうか?
無自覚にアニメ風に演出してしまっているように思えるのだが。
もっとも、方法論などという大袈裟なものではなく、もっと単純な違いかもしれない。
例えば、主要人物の演技、特に“台詞回し”だが、如何にもアニメ風だ。
トヨエツ演じる博士の「~だぜ」「~だろ」等の台詞回しなど典型だ。
SFには定番のアウトローな天才博士・科学者の設定というのはオリジナルも同じで理解できるが、トヨエツの演技がベタ過ぎる。
たぶん、そうしろと監督に言われて、しているのだろうが。
これと同様に、柴咲コウ演じる“ハイパーレスキュー隊員(笑)”もかなりベタだ。
さっぱりとした性格の持ち主、でも心に傷持つ孤独な女性。
目を瞑っても思い描けるような、お決まりパターンだ。
阪神淡路の震災で両親を失っているという設定でリアリティを出そうとしているようだが、功を奏してはいない。
あと、この人物の髪形だ。
何故、レスキュー隊員なのに、腰まであるような長髪なのだろうか?
そもそも、半端ない長髪の女性が、現代の映画に相応しいのか?
腰まであるような長髪の女性というのは現実社会でも、浮世離れした印象を与える。
映画等ではホラー物によく登場する。
あれだけの長髪にするには監督の意図があるはずだ。
心に傷持つ孤独な女性という人物像を際立たせる為に、あのような髪型にしたのか。
アニメにとって髪型とは、キャラクターを設定する上で非常に重要な要素だ。
そのキャラクターの性格の一部と言ってもよいかもしれない。
まぁ、それだけ類型的な要素でアニメは出来上がっているということだが。
その発想を、まんま実写に適応してもダメである。
実写映画でも当然、髪型は重要ではあるし、お決まりパターンもあるが、アニメ程、類型化されてはいない。
樋口真嗣監督は現実の延長として実写を撮るという意識が、かなり薄いように思われる。演出の基本が何から何まで、とことんアニメの発想なのだ。
ローレライを観た時も思ったのだが、今作もアニメにすればよかったのではないだろうか。
樋口真嗣監督を起用して実写にする意味が理解できない。
「平成ガメラ」が良かったから?
確かに「平成ガメラ」は面白かった。
でも、怪獣映画とは“お約束”度の高いジャンル映画だ。
今作のようなパニック物も“お約束”度の高い映画だが、それは災害による人工物の崩壊を存分にみせるという点のみであり、災害に対峙する人々を如何に描くかは製作者の意思で決まる。
なるほど、人工物の崩壊については、確かに見応えがある。
(※しかし、それぞれの崩壊シーンが短いな、六本木ヒルズの崩壊など、もっとじっくり崩れ落ちるまで長廻しでみせるべきなんじゃないだろうか?予告編よりチョイ長いくらいで終わってしまう。まぁ予算の問題なのかな。)
が、それ以外は殆どグズグズだ。
但し、このグズグズ感から逃れている箇所がある。
それは“もんじゃ焼き屋の一団”だ(笑)。
吉田日出子の女将を筆頭に六平直政、手塚とおる、大倉孝二の常連がたむろする。
それぞれが特長ある劇団で経験を積み、独自の演技をモノにしている役者ばかりだ。
この布陣は良かった。
個人的には演劇をメインとしている役者の演技は過剰で、基本的に好きではないのだが、この映画では唯一の救いだ。
各人が自分の演技フォルムを持っているから、監督の演出に染まらずに済んだのだろう。
これに対して草なぎ剛、柴咲コウは悲惨だった。
例の草なぎ剛の台詞、
「奇跡は起きます。起こしてみせます。」だっけ?
おまえはカルト教の信者か!
と、思わずツッコミを入れたくなる。
なんと子供っぽい発想なのだろう。
真顔で言われても困る。
また、ヘリポートでの最後の別れ抱擁であるが、あのシーンで、あの主題歌を流すかね?この21世紀に(笑)。
「ボディガード」のコスナーandホイットニー状態で演出が一昔前である。
恋愛ベタでSF大好きで救済の為の自己犠牲が好き。
一見すると真面目だけど、ちょっと危ないなぁ。
一歩間違えたら、例のサリンを撒いた連中と同じじゃないかな?
そうならなかったのは、草なぎ剛演じる小野寺俊夫が、柴咲コウ演じる阿部玲子を好きになったからで、日本人を救いたいという大局より、阿部玲子を救いたかったからという極個人的な思いによる自己犠牲だったからだ。
この一点でヤバイ方向に行くのを踏み止まらせている。
だからより一層、この映画においては恋愛について、説得力を持って演出しなければならなかったはずなのだが、グズグズになってしまった。
要がグズグズなのだから、映画としてまともに成立する訳がない。
(※そもそも、これほどまで恋愛に比重を置く内容の映画かとも思うが、恋愛メインにしないと、昨今はお客さんが入らないようだからな。)
拙いドラマ演出に辟易した映画だった。
まだ、観てない方は地上波放送で十分。
どうせ、直ぐやるでしょ(笑)。
【追記】
避難場所のシーンでずっとC-C-Bの「Romanticが止まらない」がエンドレスで流れていた。
こういうところは妙に気が利く演出なのだった(笑)。
【関連サイト】
□日本沈没:公式サイト
http://www.nc06.jp/
□たけくまメモ:【ネタバレ】日本沈没【ネタバレ】
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_77d4.html
□サイト内関連記事:「ローレライ」-お子様ランチ戦争映画-
http://tatami-theater.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_2a66.html
2月 10, 2007 at 11:15 午後 映画・テレビ | Permalink
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2007/02/08
「グエムル -漢江の怪物-」-面白い!新しくも古典的な活劇。詰まるところ、王道!-

【自宅にてDVD】
映画館で観ようと思っていたのだが、つい見逃しDVDとなった。
で、観た感想だけど、ポン・ジュノ監督の映画はやっぱり面白い!
ソン・ガンホも相変わらずイイ!
例の怪物が人々を襲うシーンであるが、まるでアニメのようだった。
アニメは人物も背景も全てセル画(※最近はCGだけど、質感はセル画という意味、しかし最近のアニメは背景を凝り過ぎて、人物の色数の少なさとが違和感を生んではいるのだが)。
だから奇想天外な怪物等が現れても、画面に遜色なく馴染む。
アニメはフィクションの世界が保たれるのだが、実写はそうはいかない。
「ロード・オブ・ザ・リング」のようなファンタジー系ならば、まだ世界全てが虚構なので、怪物が出てきても違和感は無いのだが、「グエムル」は現実の日常に現れるわけだから、違和感を出さずに襲撃シーンを展開させることは、かなり難しいのではないかと思った。
でも、それが見事に成功している、アニメのように違和感が無い。
逃げ惑う人々を手持ちカメラで追って、そこに違和感無く突如として、怪物が人々に襲い掛かるのだ。
「プライベート・ライアン」冒頭の戦闘シーンに怪物が現れた感じと言ったら、ニュアンスが少し伝わるだろうか。
のんびりとした漢江の河原を地獄絵図した冒頭シーンは、緊迫感がありとても見応えがあった。
真っ昼間ってのが、またいいんだろうな。
この映画を観る前は「エイリアン」のように、緊迫感がずっと続くものだと思っていたが、ソン・ガンホを中心とする家族のくだりは、割とドタバタコメディタッチだ。
この感じに少し戸惑うが直ぐに慣れる。
と言うか、狙いなんだろうけど。
怪物に娘をさらわれようが、飯は食わなければならなし、しょうもない家族喧嘩だってするのだ。
些細な事をサラっと、しかし丁寧に描写するこの手法はポン・ジュノ監督の十八番か。
映画のリズムというか緩急のつけ方が、死語ではあるが、まさに“活劇”と呼ぶに相応しいように思う。
普通、新進気鋭の若手監督などはチャカチャカした、PVみたいなリズムになるんだけどな。
ポン・ジュノ監督の映画の蓄積、記憶、志向が古典的なのだろう。
韓国のスピルバーグと称されるポン・ジュノ監督であるが、ヒットメーカー及び「ジョーズ」と「グエムル」の類似という共通点以外にも、この両者似ているのではないだろうか?
スピルバーグ監督も古典を愛する“活劇”の人だろう、またマジな内容の作品にもドタバタ的な要素を入れてくるところも似ている。
両者とも“新しもの好き”でCGなどもガンガン取り入れる。
そして残酷描写好きのヒューマニストでもある(笑)。
スピルバーグ監督は「プライベート・ライアン」で、その後の定型となるエポックな戦闘シーンを作ったけれど、この「グエムル -漢江の怪物-」も、今後の怪物映画の定型となるかもしれない。
「日常に異物が突如侵入する。その時、人々はどうする?」
このテーマにポン・ジュノ監督は拘っているように思われる。
「ほえる犬は噛まない」では、うるさい犬で済んだが、今作で正体不明の怪物まで来た(笑)。
次回作はどうなるのだろう。
非常に楽しみだ。
韓国の反米意識や民主化など政治的な側面もある映画ではあるが、そういったことを含めても、含めなくても面白い映画だった。
【追記】
グエムル盗作疑惑というのがあるみたいだが、下記のブログが詳しいです。
⇒新世紀の生き方、物語の世界:韓国映画『グエムル -漢江の怪物-』盗作疑惑のまとめ
確かに『WXIII 機動警察パトレイバー』の怪物に見た目はソックリかも(笑)。
下水溝を棲家とするところも同じだ。
しかし、この記事を見るまでは全然気づかなかった。
パトレイバーも観たんだけどな、だいぶ前だしな~。
でも、魚類や両生類を元にデザインすれば似たり寄ったりのものになる、みたいなことも書いてあるし、まぁ、セーフなんじゃないのかなぁ(笑)。
個人的には『WX機動警察パトレイバー』より「グエムル -漢江の怪物-」のほうが面白かった。
が、しかしパトレイバーも観直そう。
レンタル率上がるか?
【関連サイト】
□グエムル -漢江の怪物-:公式サイト
http://www.guemuru.com/
2月 8, 2007 at 02:10 午前 映画・テレビ | Permalink
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2007/02/06
「パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト」-ヒロインって、あんな極悪な性格だったっけ?-
【自宅にてDVD】
もう古い映画なのでネタバレになるけれども、とりあえず「バック・トゥ・ザ・フューチャー」な作りは、もうやめてほしい。
「To be continued.」の文字がスクリーンに現れると、全てが徒労に終わった感じがする。
それから、今作を観るために、わざわざ前作なんか観ないぞ!
最後に出てきたオッサン、誰だよ(笑)!
前作に出てきた海賊だと思うのだが、いちいち憶えてられるか!
唯でさえ記憶力が無くなってきているのに。
そもそも、記憶に残るような映画じゃないだろ。
ジョニー・デップも、ふざけ過ぎじゃないだろうか?
面白いと言えば面白いのだが、正直どうでもいい。
ヒロインもあんなに酷い女だったっけ?
最低だ。
彼女のとった行動は、ある意味正しいけど、正し過ぎるのは良くない。
迷いの無い行動が酷い女という印象を与えるのだろう。
この手の映画に良くある純真なお姫様像を崩したいのだろうけど、崩し過ぎだ。
あれは引く(笑)。
ぐだぐだ書いたが、そんなに印象に残る映画じゃない。
きっと次回作を観る時には、今作をすっかり忘れているだろうな(笑)。
次回作のチョウ・ユンファが気にはなるが。
【関連サイト】
□パイレーツ・オブ・カリビアン:公式サイト
http://www.disney.co.jp/pirates/
2月 6, 2007 at 10:09 午後 映画・テレビ | Permalink
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2007/01/23
「ハイテンション:HAUTE TENSION」-つーか、かなりローテンション。次回作に期待。-
【自宅にてDVD】
劇場公開版はアメリカの規制が掛かったものだったらしいが、DVDは規制無しの本国フランス版。
なので、どんだけすごいのかと期待したがハズレだった。
別に大量に人が無残に惨殺されれば、面白い訳ではないけれど、この手の映画にしては人数が少な過ぎるのではないだろうか。
低予算らしいので、しかたがないのかもしれないが。
では、一人をジワジワと追い詰める緊迫感があるのかといえば、そうでもない。
この映画は、その方法論を選択しているのだけれど、それにしてはダラダラと進行する。
殺人鬼も冒頭から、割とはっきりと全体像が見えてしまう。
気のよさそうなオッサンである(笑)。
どこにいるのかわからない、そいつが不意に襲ってくる。
これが基本だと思うのだが、この映画もその基本には当然従っているのだが、なんだろうなぁ、あの間延びした感じは。
緊迫感が全然伝わってこない。
かといってバカバカしくもない。
困った(笑)。
それでオチであるが、既に色々なブログ等で書かれているだろうけど、
「まだ、これをやるかね」
といったところだ。
もういい加減、卒業ではないだろうか(笑)。
製作者としては、鬼畜にオネエチャンが追っかけられて、ワー、キャー言う単純な映画にしたくなかったのだろうけれども、かといってこのオチを魅力的にするためには、前半で人物の関係性をもっと練りこまなくてはならなかったはず。
ホラー好きは、この映画では満足出来ないだろうし、ドラマが観たい人は、そもそも今作を観ないだろうし、観たとしても消化不良になるだろうな、きっと。
中途半端な映画であった。
しかし、この映画の製作者は若い。
当時で25歳か?
この歳で世界で配給される映画を作れるのだから、たいしたものだと素直に思う。
低予算と言えど、質感は貧乏臭くはなかった。
次回作に期待だ。
【追記】
フランスだからかもしれないが、鬼畜が乗ってたシトロエンHトラックや、主人公が追跡するさいに乗っていたフォードのクーペ(車種はわからん)など、劇中で使用されている車の趣味が良かった。
監督、エンスーか?
【関連サイト】
□ハイテンション:公式サイト
http://hightension.jp/
□次回作「The Hills Have Eyes」予告編(Apple)
http://www.apple.com/trailers/fox_searchlight/thehillshaveeyes/
1月 23, 2007 at 12:37 午前 映画・テレビ | Permalink
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2007/01/19
「太陽の傷」-黄金の哀川翔×三池崇史コンビ、残虐性に対する落とし前-
【自宅にてDVD】
これまでも、このコンビは“笑い”と“暴力”に満ちたムチャクチャな映画を世に送り出して来たのだけれども、今作は今までの哀川翔×三池崇史コンビによる映画の暴力、残虐描写とは質が違った。
“笑い”も起きなければ、有り得ない死に様をみせる“娯楽”としての残虐性も無かった。(※一箇所だけあったかな、遠藤憲一が出演しているシーン。)
そして“殺し”もかっこよくない。
そこにあるのは剥き出しの残虐性だけだ。
このコンビが作り出した映画から、“笑い”を取り除いたら?
“ムチャクチャさ”を取り除いたら?
そして荒唐無稽なストーリーではなく、現実の問題を題材にしたら?
その答えが「太陽の傷」になったのではないだろうか。
娯楽性を削ぎ落とされたこの映画は、緊迫し寒々とした質感となっている。
このコンビの過去の作品とは明らかに一線を画する。
何故、少年犯罪及び被害者の問題を題材にしたのかは知る由もないが、今まで培ってきた残虐描写の技術で、少年犯罪の残虐性に肉薄しようとしたのは確かだろう。
残虐描写で名を馳せ極めた人間が、残虐性について一番考えているのは、当然と言えば当然だ。
その残虐性に対して、落とし前をつけたいのではないだろうか。
今作はその取っ掛かりの作品ではないかと思った。
当然、必見なのだが、このコンビの過去の作品「DEAD OR ALIVE~犯罪者~」「極道恐怖大劇場 牛頭」などを先に観ておくと、違いがより一層はっきりと分かります。
【追記】
妻役の(蜷川みほ)が妙にエロく、絶対、何や彼やあると思って観ていたのだが、何も無かった(笑)。
今までの三池監督だったら、絶対、何や彼やがあったと思う。
こう云う所からして、やはり今までとは違う。
勝手な思い過ごしか(笑)。
勿論、「極道恐怖大劇場 牛頭」系のムチャクチャな映画も撮り続けてほしい。
【関連サイト】
□太陽の傷:公式サイト
http://www.cinemaparadise.co.jp/taiyounokizu/index.html
□哀川翔:公式サイト
http://www.aikawa-show.net/
□蜷川みほ:公式サイト(※あの蜷川も、この蜷川も全部血縁関係だった、確かに顔が似てるな。)
http://www.ninamiho.com/
1月 19, 2007 at 12:43 午前 映画・テレビ | Permalink
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2007/01/10
「ジャッキー・チェンの少林寺木人拳」のDVDにはガッカリ、それと「亡国のイージス」。
【自宅にてDVD】
「木人」が無性に観たくなり、レンタルする。
が、オープニングが無い!あの木人のシルエットに“成龍”という文字が被さるオープニングタイトルが無く、静止画の木人の後に、いきなり本編が始まる。
ガッカリした、あのオープニングが観たかったのに。
後に、あのオープニングは当時の日本公開版しかない事を知る。
その日本公開版をDVD化しろっ!と思った。
まぁ、版権とかが大変なんだろうけどなぁ、フィルムが無かったりするかもしれん。
当時ジャッキーブームだったのだが、映画館で観たわけではなく、多分、金曜ロードショーだと思うのだが、テレビで観た。
映画の横長サイズを強引にテレビサイズに縮めたオープニングは、木人がひょろりと縦長になり滑稽なのだが、妙に迫力があったのだ。
と思ってYouTubeで検索したら、あった(笑)。
http://www.youtube.com/watch?v=5GRif402Cj8
今観るとショボいのだが、やっぱり「木人拳」はこれだ。
※だいぶ昔だが、PUFFYのPVで、この圧縮オープニングが引用されていた。
ami、yumiが木人になっている。
何の曲だろう?
【自宅にてTV】
だいぶ前だが、放送していたので観た。
「ローレライ」より、全然まとな映画だった。
しかし、やはり子供っぽい印象を受ける。
憂国の志は分かるのだが、青臭いのだろう。
その青臭さを、何とか大人の映画に仕立てた感じだ。
痛快娯楽作にしたいのか、社会派作品にしたいのか、迷ってる感じだ。
娯楽作にするには、真田広之と中井貴一の決闘は地味過ぎる。
イージス艦にブルース・ウィリスが乗っていなければダメだと思った。
この映画を観ると、「機動警察パトレイバー2 the Movie」が、如何に良い映画だったかが分かる。
こちらは敢えて言えば、荒唐無稽のロボットアニメではあるが、自衛隊組織のクーデターの描写など、綿密でリアリティがある。
また、現状の日本に対する危機感を延々とモノローグで語る、その内容には説得力がある。
片や今作はイージス艦も自衛隊組織も現実の設定なのだが、こちらの方が荒唐無稽な印象だ。
そもそも、某国の工作員を何故、中井貴一が演じなければならないのだろうか?
例えば「シルミド」のソル・ギョングではダメなのだろうか?
役としてはハマると思うのだが。
両国間の政治情勢、国民感情を考慮して、無しなのだろうか?
それでは何故、女性工作員だけは韓国の女優さんを起用したのだろうか?
実際、朝鮮日報の古い記事だが、この女優さん(チェ・ミンソ)はこの映画に出演したおかげで、韓国の映画祭の司会を降板させられたらしい。
このような問題が実際に起こるわけだけれども、この映画の性質上、少なくとも韓国映画界を説得し、ソル・ギョング級の俳優を出演させなければならなかったのでは、ないだろうか?
もし仮に、ソル・ギョングが出演したとなれば、話題にもなっただろうし、この映画にリアリティを与えたと思うのだが。
また、幾ら同じアジア人とはいえ、日本人が外国人を演じるというのは、この時代にリアリティが無さ過ぎる。
結果、この映画は小ぢんまりとした内向けの、よくある日本映画になった。
でも、この映画の詰まらなさは、自分達の問題でもある。
この映画の製作者だけが悪い訳ではないように思う。
要は外に向けた言葉を持っていないからだ。
確実に僕は外に向けた言葉を持っていない。
文句や悪口なら、幾らでも言えるのだが。
憂鬱な気分になる映画でした。
1月 10, 2007 at 12:08 午前 映画・テレビ | Permalink
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2006/12/14
「ココシリ」-秘境には秘境に見合った絶滅品種の男達がいる。-
【自宅にてDVD】
チベットカモシカの密猟を阻止すべく、命懸けの戦いを繰り広げる、山岳パトロール隊の実話に基づいた物語。
公式サイトを見ると、監督のルー・チューアンは
「何故、彼らは無償でここまでするのか、理解する為に映画を撮った。」
と語っている。
なので当然、事実に基づいてはいるが、登場人物の行動や心理は監督の想像だ。
で、監督はどの様に想像したのか?
やりたい事をやり、死んでいった男達と想像したのだ。
彼らは無償で山岳パトロールをしてるのだが、善人ではない。
この仕事のみに生き甲斐を感じてるから、密猟者を執拗に追跡しているのだ。
その証拠に、資金が底を突くと密猟者から回収した毛皮を売って、追跡を続けるからだ。
恋人や結婚にも興味が無いことは無いが、それ程重要とも思っていない。
密猟者を追跡し捕まえる事、これが一番なのだ。
彼らもまた猟をしているのである。
獲物が密猟者に過ぎない。
彼らと密猟者は表裏一体なのだ。
では何故、彼らは密猟者にならなかったのだろうか?
それは密猟者は金の為、生活する為に猟をするからだ。
映画では、密猟者は元は別の真っ当な仕事をしており、それでは食えなくなったから、しかたなくカモシカ猟をしているのだ。
山岳パトロール隊にとっては密猟より、この事が一番許せない事なのだろう。
この事実を密猟者のリーダーに突きつけられると、山岳パトロール隊の隊長(主人公)は逆ギレする。
やりたい事をやり、死ぬ。
現実社会では、なかなか実現不可能な事を、現実にやり遂げた男達。
秘境故に可能だったのか、彼らが秘境そのものか。
映像は雄大だし、男達は無骨でカッコ良く、隊長の娘はカワイイ(笑)。
面白い映画でした。
【関連サイト】
□「ココシリ」映画公式サイト
http://www.sonypictures.jp/movies/mountainpatrol/index.html
12月 14, 2006 at 12:28 午前 映画・テレビ | Permalink
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2006/12/07
「男たちの大和/YAMATO」-詰まる所、大和フェチ-
井川比佐志や余貴美子など、ベテランの俳優、女優さんが出てるシーンは、さすが画面が締まる。
しかし当時の軍人は本当に、あのような喋り方をしていたのだろうか?
かなり芝居がかって見える。
特に中村獅童にそれを感じた。
反町隆史に至っては現代だろうが何だろうが、全部同じ気がする。
戦闘シーンだが「プライベート・ライアン」から始まる例の映像。
今現在、金の掛かった戦争映画と言ったら、この方法が多いような気がする。
「シネマ坊主」で松本人志が「実際よりもリアルかもしれない」と言ってた映像です。
この映画も当然、それを採用しているのだが不自然だ。
それは何故か。
爆風やら敵の銃弾やらで倒れる日本兵が、今までの映画の倒れ方をする。
両手を挙げてハラホロヒレ~っとワカメみたいに手をヒラヒラさせて倒れるのだ。
文章にすると分かりづらいのだが。
要するに撮影技術だけ新しくして、演技をそれに対応させていない。
そのズレが非常に不自然だった。
高速度撮影にすれば何でもリアルになるわけではない。
新しい技術には新しい演技法だって必要だ。
また、高速度撮影をした為か、兵士がチャカチャカと、まるでチャップリンのような動きになっていた箇所があったが気のせいか。
大和の乗組員、またその家族を通して戦争の悲劇、男の生き様を伝えようという意図は伝わるのだが、最終的には戦艦大和を愛でてしまっている。
戦艦大和を撮るというのが、この映画の主題でもあるのだから、今更そんな事言うなと言われれば、それまでなのだが。
時代遅れの巨艦大和を造り、まともな戦闘も出来ずに、乗組員の大半は戦死した。
要するに、酷い言い方になってしまうが乗組員は犬死したのだ。
映画は当然、乗組員とその家族に焦点を当ててストーリーが進むが、戦艦大和でなかったら映画化しなかっただろう。
その愛してやまない大和を切って捨てるように、今作を撮らなければならなかったのではないだろうか。
戦艦大和を愛でている限り、真っ当な戦争映画は撮れないような気がする。
また、民間人の軍隊式の敬礼も不快だった。
仲代達矢、鈴木京香が演じる二人が敬礼するのは分かる。
しかしあの少年が敬礼する必要があるのだろうか?
一礼で良いのではないだろうか?
確かに三人で揃って敬礼すれば絵になる。
しかし、そのような美学を避けてこそ、現代の戦争映画じゃないかと思った次第だ。
【追記】
その後、「父親たちの星条旗」も観たのだが、これを観た後では「男たちの大和/YAMATO」は、映像的なクオリティ以外でも、かなり見劣りする。
クリント・イーストウッドは兵器を愛でるような事を主題にしたりはしない。
12月 7, 2006 at 08:46 午後 映画・テレビ | Permalink
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2006/11/15
「イーオン・フラックス」-演技派女優が二人揃って、ゲテモノに-
あまり考え込む映画は観たくなく、この映画をレンタルした。
その期待を裏切らない出来栄え(笑)。
しかし、シャーリーズ・セロンは「モンスター」でアカデミー主演女優賞を受賞したのに何故、この映画の主演を決めたのだろう?
また、「ホテル・ルワンダ」で抜群の演技を見せたソフィー・オコネドーも何故、次回作がイーオンだったのか?
シャーリーズ・セロンはゴキブリのように敵陣を這いずり回り、ソフィー・オコネドーは足がエライ事になっている。
ゲテモノ度ではソフィー演じるシサンドラの勝ち!
どうでもいいが(笑)。
深刻なテーマの作品の後はムチャしたくなるのか?
きっとそうだろう。
重い作品ばかりでは息が詰まるからな。
「たまには荒唐無稽な作品に出たいわ」ってな感じだろうか。
ハル・ベリーも「チョコレート」で主演女優賞を受賞してからは、「キャットウーマン」など、おかしな映画ばかりに出演してる。
こちらは上記の二人より状況が深刻なような気がしないでもないが。
演技力があっても、それを活かせる作品と出会わなければならず、確実にその作品をモノに出来る訳でもない。
人気も落としたくないのでコンスタントに出演しなければならず、そうなるとヘンテコな役ばかりを演じる事になる。
猫女やら突然変異体やら、「チョコレート」以降、普通の人を演じたことがあるのか(笑)。
女優も大変である。
シャーリーズ・セロン、ソフィー・オコネドーもハル・ベリー状態なのかな。
今作の物語自体はSFによくある話だ。
ウィルスによって人類激減、隔離された都市で僅かな人々が生活している。
当然、そこには人々を統治する権力者がいて、それに抵抗するレジスタンスがいる。
シャーリーズ・セロンはレジスタンス役ですね。
「マトリックス」のネオみたいなもんです。
そして、人口を安定させる為の子孫問題。
隔離された都市と独裁的な統治者、そして人口問題。
「未来惑星ザルドス」も萩尾望都の「マージナル」も似たような内容だったはず、「マトリックス」も、このテーマに捻りを加えた亜流だろう。
今週末に公開される「トゥモロー・ワールド」もモロに同じテーマだ。
きっと他にもあるはずだ。
30過ぎの脳みそでは、全然思い出せないが(笑)。
それにしても、元ネタは何だ?
【関連サイト】
□イーオン・フラックス公式
http://www.aeonflux.jp/
□トゥモロー・ワールド公式
http://www.tomorrow-world.com/
 |
未来惑星ザルドス ジョン・ブアマン ショーン・コネリー シャーロット・ランプリング 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 2005-06-24
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11月 15, 2006 at 02:02 午前 映画・テレビ | Permalink
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2006/11/13
「ダ・ヴィンチ・コード」-トム・ハンクスが送る「世界の車窓から」、だな。-
【自宅にてDVD】
ルーブル美術館から始まりヨーロッパの古城巡りと、確かに景色は美しい。
でも、基本的にそれだけ。
この映画が公開される前に、さんざん特集番組を放送していたので、原作を読まずともネタバレしてる。
殆ど、刑事コロンボを観るのと同じだ。
犯人(答え)が分かっていて重要なのは、それに至る筋道なのだが、そのあたりは大して面白くない。
謎を解く前段階の“タメ”が無いので、簡単に謎を解いてしまう。
「本で読め!」という作品だ。
映画向きじゃないです。
唯一、印象に残ったのが、オドレイ・トトゥ演じるソフィー・ヌヴーの子供時代の交通事故シーンで、この映画では不自然なくらいの衝突シーンだ。
殆ど「デッド・コースター」(笑)。
後は延々「世界の車窓から」です。
この話、キリスト教圏ではそれなりに衝撃的なのかもしれないが、日本ではどうなのだろう。
神であるキリストを人間として扱うことが最大の問題なのだろうけど。
マーティン・スコセッシ監督の「最後の誘惑」もキリストを人間として描いて、欧米で問題になったな、そう言えば。
今作は当り前だが「最後の誘惑」ほどマジな内容ではなく、日本だったら「卑弥呼は宇宙人だった!」みたいな木曜スペシャル程度のものだろう。
それはそれで面白いけどね。
【追記】
お世継ぎ問題が勃発して大変そうだね、この子孫も(笑)。
11月 13, 2006 at 11:55 午後 映画・テレビ | Permalink
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2006/10/25
「ローレライ」-お子様ランチ戦争映画-
【自宅にてDVD】随分、前に観たのだが・・・
子供の頃、一度は食べた事のある、お子様ランチ。
小さいハンバーグに、必ず残すミックスベジタブル、ちょっとギミックが効いたおまけのオモチャ。
そして、ケチャップで炒めたご飯の上に刺さってる、可愛い日の丸。
この映画は正にそんな映画だった。
完全な子供向け。
僕が中学生だったら真剣に観たかもしれない(今の中学生じゃ無理かな)。
三島由紀夫、森田必勝をモデルにしたような人物も出てくるが、説得力は感じない。
全てにおいて、リアリティが無いからだろう。
綾波レイみたい特殊能力を持った少女も、当然のように苦しんでいる(笑)。
潜水艦の構造も「ラピュタ」も海賊艇みたな構造だ。
本艦から管で繋がれた小型の潜水艇があり、その中で妻夫木聡と香椎由宇が
「パズー!」「シーター!」状態(笑)。
(※ラピュタは好きな映画です。)
米軍の新型機雷の発射シーンもマクロスみたいだ。
どうせならアニメで作ったほうが、真っ当に観れる作品になったと思った。
何故、実写にしたのかが、分からない。
これを、戦争映画と言うなら、殆どの娯楽作も戦争映画と呼ばなければならなくなる。
妻夫木聡演じる折笠征人の友人もアホな死に方するし、ギバちゃんも「K-19」丸出しで、漏電した電力室に入ってビリビリしてるだけだ。
潜水艦を一隻を動かしている電力室に入ったら、その時点で即死だろ、普通(笑)。
必然性がまるで無い。
太平洋戦争をベースにしているから、こういった事が余計にバカバカしく思える。
大人になったら、お子様ランチなど食べない。
わさびをくれ!
10月 25, 2006 at 01:11 午前 映画・テレビ | Permalink
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2006/10/22
「リブ・フリーキー!ダイ・フリーキー!」-チャールズ・マンソンの小者ぶりが面白い。-

【自宅にてDVD】
面白かったのだが、深夜に見始め、何時の間にか寝てしまった。
なので、ラストは知らない。
神格化したマンソンも、人形アニメになると、ただのヤリチンの小者として描かれていて面白い。
なんやかんや屁理屈こねて、ハメようとしてるだけ(笑)。
ハメられちゃうアメリカ娘もなんだけど。
描写は人形アニメを、いいことに露骨だがバカバカしい。
そして、シャロン・テイトを惨殺するのだが、このシャロンがかなりムカつくキャラになっており、殺されて当然という感じだ。
私利私欲のみに生きるセレブとして描かれている。
この時点で僕はマンソンファミリーの味方だ(笑)。
ルサンチマン丸出し。
グチョグチョの惨殺シーンが展開されるのだが(※人形アニメなので全て愛嬌がある)、この辺から睡魔に襲われてフェイドアウト。
しかし、チャールズ・マンソンは何故、人々を捉えて離さないのか?
愛されてるといってもよい。
実在の殺人者が人形アニメになったことなど他にあるのかな?
人形アニメになるという時点で、チャールズ・マンソンには愛嬌があり、キャラ立ちしているということなのだが、キャラ立ちしていれば、何しても良いのかとも思う。
疑問が残る。
もう一回、観なければ・・・
【関連サイト】
□リブ・フリーキー!ダイ・フリーキー!公式サイト
http://www.livefreaky.com/
□リブ・フリーキー!ダイ・フリーキー!公式サイト(英語)
http://www.livefreakydiefreaky.com/
10月 22, 2006 at 12:30 午前 映画・テレビ | Permalink
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2006/10/19
「交渉人 真下正義」-ラストで全て台無し-
【自宅にてTV】
「踊る大捜査線」シリーズ自体が好きではないが、観てしまった。
劇場版の前2作よりは全然普通に観れたが、ラストの結婚指輪のくだりで全て台無し。
真下はボケキャラということは知っているが、あのラストは無い。
2時間、観続けたことが全て徒労に終わった。
やはり、このシリーズ自体が好きではないことを再確認しただけだった。
だいたい「踊る~」シリーズは人が死なない。
殉職者の出ない刑事モノなど、何が面白いのだろうか?
第1作目のグッサリ脇腹刺された青島が、死んだと思ったら徹夜してたのでグーグー寝てるシーン。
あれを観た時は心底ムカついた。
脇腹刺された刑事は死ぬべし!
でも、嫌いな映画も観るべきだと思い直す。
自分が何が好きか分かるから。
10月 19, 2006 at 03:02 午前 映画・テレビ | Permalink
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2006/10/16
「ポセイドン 史上最悪の大転覆」-テレ朝でやってたTVM。みんな老けたなぁ-
ウォルフガング・ペーターゼン監督がリメイクしたものではありません。
日曜日にテレビで放送してたTVMです。
あまり観る気はなかったのですが、キャストがそそったので。
船長:ピーター・ウェラー(ロボコップ)
司教:ルトガー・ハウアー(レプリカント)
乗船客:スティーヴ・グッテンバーグ(ポリスアカデミー)
みんな老けたなぁ、特にポリスアカデミーが。
ピーター・ウェラーは直ぐに死んじゃう。
ルトガー・ハウアーは、てっきりボスキャラだと思って観ていたが、最後まで良い人のままだった、残念。(元ネタと同じ設定のままだったな。)
スティーヴ・グッテンバーグに至っては、オロオロしてるばかりだった(笑)。
10月 16, 2006 at 11:53 午後 映画・テレビ | Permalink
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2006/10/14
「悪魔とダニエル・ジョンストン」-ポップカルチャーの魂を歌う-

【渋谷にて】
古着屋で見つけた、変なイラストのTシャツ。
マヌケな宇宙人のような、カエルのような。
「なんじゃ、こりゃ」と思いながらも、ヘンテコで愛嬌のある感じが気に入り買ったのだった。
これが、ダニエル・ジョンストンを知るきっかけだった。
ほんの去年の事(笑)。
あまり、グランジに興味がなく、ニルヴァーナもカート・コバーンが死去してから聴き始めたくらいで、カート・コバーンが、この(カエル?)Tシャツを着た事によって、ダニエル・ジョンストンが一躍有名になった事など、数ヶ月前まで全然知らなかった。
ダニエル・ジョンストンの曲も聴いた感じは“病み上がりのビートルズ”ってな、印象だった。
演奏が上手いわけではない、しかし妙に音楽のツボを押さえた感じ。
そして、あの少年のような声。
何と言っても歌詞が素晴らしい。
切なく、小賢しい技など使わず、全て直球勝負だ。
映画では歌にも字幕が付くので、大変有り難い。
シンガーソングライターだって言ってるのに、英語の分からない僕が輸入版CDなど買ってもダメである(笑)。
歌詞が分からないとダニエル・ジョンストンの音楽は半分の楽しめない。
彼は高校くらいまでは、まともだったがその後、精神に異常を来たす。
それは今でも続いている。
幼少の頃から芸術的才能を発揮し、8mm映画から、マンガ、アニメーションを創作し、
また、録音魔でもあり、母親の怒ってる声から、好きな女の子の会話まで録音している。
それらの膨大な作品は殆ど残っていて、映画で見ることが出来る。
両親はキリスト教原理主義者だ。
感受性豊かな少年はキリスト教原理主義とポップカルチャーの間を行ったり来たりして、おかしくなってしまったのだろうか。
確かに、僕も両親がクリスチャン(原理主義じゃないよ。)なので、子供の頃は教会に行き、「全能の父なる神の御名において~」等の礼拝を受けて、家に帰ってくると、「北斗の拳」の“ひでぶ”が待っている(笑)。
神の世界と血沸き踊るバイオレンスマンガの世界。
ギャップは相当なものだ。
でも、このような体験をしている人は世界中に億単位でいるだろうし、特別な事じゃない。
どれだけ真摯に受け止めるかによる。
きっと、彼は“キリスト教原理主義の世界”も“ポップカルチャーの世界”も真摯に受け止めたのだろう。
ダニエル・ジョンストンの部屋は、まるで子供部屋みたいだ、レコードやフィギュアでギッシリだ。
でも、コレクターのようにきれいに整理されているわではない。
好きなもので巣を作ってる感じ。
また、マウンテンデューを死ぬほど飲んでる。
マウンテンデューの歌まで作ってる。
ロックやマンガ、アニメ、映画を愛し、親から怒られる炭酸を飲み、同級生の女の子を好きなる。
そして、彼には欲がある。
アーティストとして世に出たい、認められたいと渇望している。
自分の好きな事で成功したいと願っているのだ。
僕らと何も変わらないじゃないか。
ダニエル・ジョンストンが、人々から愛され共感されるのは、天使のように純粋な存在だからではない。
ポップカルチャーに囲まれて育った僕らと何一つ変わらないからだ。
誰かを好きになる事だって、ポップカルチャーに含まれる。
恋愛もののマンガや音楽や映画は世に溢れているのだから。
影響を受けてないはずがない。
ポップカルチャーから受けた喜びや衝撃は、普通は色褪せてしまう。
でも、彼は色褪せることなく持ち続け歌にしているのだろう。
そういった意味では純粋である。
彼の音楽を聴くと、切なさを伴って色褪せたものが蘇る。
僕らを写し出す鏡のような存在のダニエル・ジョンストンの半生。
彼の音楽を知らなくても全然問題無く観れる映画。
素晴らしいドキュメンタリーでした。
【追記】
この映画を観て、アンダーグラウンドコミック作家、ロバート・クラムのドキュメンタリーを思い出した。
彼のお兄さんも精神を病んでいた(後年に自殺)。
お兄さんの描いていたマンガも凄い絵で、病状の進行に併せてマンガもどんどんヤバくなる。
最終的には吹き出しに文字がびっしり埋った、マンガと呼べるようなものではなくなっていた。
このドキュメンタリーも大変よい映画ですので、是非どうぞ。
ライズエックスですが、ムチャなレイアウトの映画館ですので(笑)、最低でも一時間半以上前に行って、早い整理番号をもらわないとヤバいです。
38席しかないので。
一階席、二階席とあるのですが、一階席の最前列ですと、たぶん首が折れます(笑)。
でも、本来だったらビデオ、DVDスルーになってしまうような映画を公開してくれるので、非常に嬉しい。
【関連サイト】
□悪魔とダニエル・ジョンストン公式サイト
http://www.akuma-daniel.com/
□悪魔とダニエル・ジョンストン公式サイト(USA)
http://www.sonyclassics.com/devilanddaniel/
□Stress Records:ダニエル・ジョンストン公式サイト(USA)
初期作品のカセットテープやグラフィックが見れる、通販もしてる。
http://members.aol.com/yipeye/index.htm
□ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記:悪魔とダニエル・ジョンストン
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20060414
□シネマライズ
http://www.cinemarise.com/
 |
クラム デイヴィッド・リンチ テリー・ツワイゴフ ロバート・クラム 角川エンタテインメント 2002-06-07
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10月 14, 2006 at 04:13 午後 映画・テレビ | Permalink
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2006/10/13
「ALWAYS 三丁目の夕日」-この監督、何か勘違いしてはいないだろうか?-

【自宅にてDVD】
僕がこれまで観た映画のワースト1は「Returner リターナー」だ。
テレビで放送していたものを、たまたま観たのだが、酷かった。
主演二人の演技も大根で酷いのだが、それよりも過去のSF映画をグチャグチャと混ぜ合わせたストーリーと絵作りに、とにかくウンザリした。
あまりに酷い印象だったので、逆に今作に興味が沸き、鑑賞したのだった。
原作マンガは読んでいない。
「Returner リターナー」よりは不快感は減った。
しかし、演劇の演技のようなオーバーアクションは好きになれない。
(※薬師丸ひろ子は良かった思う。)
茶川竜之介やら古行淳之介など、こういうダジャレは聞いただけで、げんなりするが原作もこの名前らしいのでしょうがない。
ストーリー自体はよくあるベタな展開で、個人的には感動する箇所は何も無い。
でも、真っ当な生活を送っている人は、これを観て感動するだろうな、とは思った。
“プロジェクトX”とやってることは同じだから。
夕日に聳え立つ東京タワーを3人が眺めているラストシーンであるが、逆光の感じといい、「風と共に去りぬ」の引用でしょうか?
僕はこのラストシーンが、ものすごく不快だったのだけれど、これは僕の穿った見方なのでしょうか?
直感的に「パクッた」と思ったのだが。
それも、有名なラストシーンを自身の映画のラストシーンとしてパクるなよ、と思ったのだが、そんな事は無いのだろうか?
確かに、夕日の中を逆光で佇む人なんていう構図はよくありますけど、何故か異常に不快に思った。
この監督は映画オタクであり、前作もそうだったように引用しまくる。
そして引用しまくって出来上がった映画を、お客が映画ファンが喜んで観ると思ってはいないだろうか。
それは勘違いだ。
本当はそんなものが見たいわけじゃない。
本来、誰も見た事がないものを見せるのが映画であると思うのだ。
ただ、これだけ映画も歴史があると新しいものを見せるのは難しい。
だから、手を変え品を変えて引用するしかないのだと思う。
この事に対する負い目が、この監督には全然感じられない。
嬉々として引用しまくっているように思う。
この監督の映画を不快に思う原因はこれだ。
今作で目を見張るのは、建設中の東京タワーだ。
これだけは、現実的に見ることが不可能なものを見せている。
建設中の東京タワーだけが映画だった。
【関連サイト】
□ALWAYS 三丁目の夕日公式サイト
http://www.always3.jp/
10月 13, 2006 at 03:27 午前 映画・テレビ | Permalink
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2006/10/11
「デビルズ・リジェクト~マーダー・ライド・ショー2~」-映画は、こうでなくちゃ!ロブ・ゾンビ渾身の一撃!-

【渋谷にて】
前作を観ていなくても、全然問題無し。
冒頭からラストまで緊張感が持続する、素晴らしい出来映え。
引きつり笑いが起こりそうなブラック・ユーモアも最高。
残虐描写もいたる所に散りばめられているのだが、スプラッター・ホラーのような楽しみ方は出来ない。
スプラッター・ホラーは登場人物が如何に殺すか、殺されるかを、その有り得ない死に様を存分に楽しむものであるのだけれど、この映画にそれを期待すると肩透かしを食うはず。
スプラッター・ホラーを期待するならば、この映画よりも上映前の劇場内でエンドレスに予告編を流していた「MEATBALL MACHINE」(※有り得ないくらいドバドバ、血が噴き出してましたよ。)か、前作「マーダー・ライド・ショー」を観た方が満足することでしょう。
今作では、殺し方、殺され方を楽しませるような事はしない。
追い詰められ、死に至る過程を刻々と描写する。
それは、非常に切迫し、身につまされる感覚を与える。
虐殺家族も、この家族に殺される人々も、行き着く所は同じ。
切なさに包まれる、とても良い映画だった。
「やっぱり、映画はこれだろ!」と、心の内で叫びたくなるような一本。
絶対、必見!
【追記】
でも、「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!大人帝国の逆襲」ではないけれど、70年代までの世界しか要らない?
良いものは過去のスタイルを採る、それは憂鬱でもある。
【関連サイト】
□デビルズ・リジェクト公式サイト
http://www.sonypictures.jp/movies/thedevilsrejects/index.html
□映画秘宝.com:特集
http://www.eigahiho.com/tokusyu.html
□ロブ・ゾンビ公式サイト
http://www.robzombie.com/
□MEATBALL MACHINE公式サイト
http://meatballmachine.jp/
□シアターN渋谷
http://www.theater-n.com/
10月 11, 2006 at 02:43 午前 映画・テレビ | Permalink
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2006/10/09
「ゲド戦記」-ボタンを掛け違えた感じがラストまで、延々と・・・-
【吉祥寺にて】
日曜日の最終、客は10人くらい、イイ感じだ(笑)。
原作は読んでない。
しかし、この時期に観ているので当然のごとく評判が宜しくないこと、また原作者アーシュラ・K・ル=グウィンも不快感を表明していること、父殺しは原作には無いことなどの情報が、ガッツリ頭に入った状態で観る。
なので、原作との違い等々には触れずに(※原作を読んでないので、触れる資格も無し。)「ジブリ映画」としてこの作品を観ると、非常に平坦な印象しかない。
ひっかかり、盛り上がりが全然ない。
まず、冒頭の荒れ狂った大海原のシーンだが、ここから既に違和感は始まる。
色彩が非常に平凡なのだ。昔のアニメの色みたいだ。
色自体も絵の具のチューブからそのまま出したような“生っぽい”感じだ。
実際はCGで着色しているはずで、セルアニメと言いつつも、セル及びインクは使われていないと思うのだが、「これがジブリなの!?」と驚くような、貧相な画面なのだった。
確かに、現在のアニメは動かない背景は精密に描写し、動きのある箇所(人物等)は色数の少ないセルアニメ風というのがスタンダードなのだろう。(※この傾向自体、僕個人としては、あまり好きではない。背景とキャラクターに落差があり過ぎると思うので。)
なので、画面全体に動きを与えなくてはならない、嵐の海などは必然的に色数が減る。
動きのダイナミズムを優先して、精密な描写を犠牲にするからだ。
しかし、理由は分かるが貧相な印象は拭えない。
そして、この映画の基調となる風景の質感。
最後まで違和感を覚えるのは、この質感だと思う。
油絵風というか、印象派風というか、とにかく輪郭がハッキリしていない。
城都の全景がバーンと画面いっぱいに広がるシーンでも、輪郭がハッキリしない上に遠近感を出す為に近影の人物にピントを合わせ、城都のフォーカスをぼかすので、全然迫力が無い。
音楽は高らかに盛り上げるが虚しい。
また、アレンの夢のシーンの夜空も、たぶんゴッホを参照しているのだろうが、星の周りにひじきのようなものが、うねうねしている表現も不愉快だった。
荒々しい筆のタッチを生かすのが、ゴッホの特徴ではあるが、ジブリ作品でゴッホの質感が観たいわけではない。
そもそも、静止画(油絵)は移り行く時間を表現する等、動きを表現する為に筆のタッチを残すわけで、動く事が前提のアニメにこのような表現方法が適しているのだろうか?
個人的にはそうは思わなかった。
それが悪夢のシーンであっても、安易に狂ってしまった画家の画風を取り入れるべきではないと思う。
この油絵風の質感の上を、人物も含めて可動部分はセル画が動くのだ。
画面に統一感がなく、常にバラバラな印象しか受けない。
全編にわたりこの調子なので、内容自体は頭にあまり入ってこなかった。
油絵には油絵の良さが有り、アニメの背景画にはアニメの背景画の良さが有る。
この作品はアニメの良さを全て潰してしまったように思う。
新しい試みは、それまで慣れ親しんだ人にとっては不快に感じるものだ。
しかし、いずれは認め受け入れることになるのだが、果たして「ゲド戦記」のこの質感を受け入れる日が来るのだろうか?
全てのジブリ作品を観てきたわけではないけれど、このような貧相な印象を持ったことは、これまでなかった。
宮崎駿を始めとする歴代の監督は当然、アニメの長所短所を知り尽くしているはずだが、宮崎吾朗監督は実質、経験値が0の状態なので、頭ではアニメの長所短所が分かっていても、演出に活かせなかったのではないかと思った。
【追記】
「ゲド戦記」と言いつつもゲドが主人公ではなく、実質アレンが主人公なのはオッサンが主人公だと、お客が呼べないからなのだろうか?
また、現代を反映させようという意図は理解できるが、環境問題から狂牛病、ニート、引きこもり、キレる若者など、詰め込み過ぎで、世界観がムチャクチャになっているように思われる。
ここまでやりたいのならば、オリジナルストーリーで作ればよかったのではないだろうか。
【関連サイト】
□スタジオジブリ公式サイト
http://www.ghibli.jp/
□超映画批評:『ゲド戦記』35点(100点満点中)
http://movie.maeda-y.com/movie/00768.htm
□たけくまメモ:「ゲド戦記」、観に行きましたが
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_b8de.html
□たけくまメモ:「ゲド戦記」のCMは面白い!
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_f4c3.html
□ゲド戦記考察 -Tales from Earthsea-
http://www.asahi-net.or.jp/~hn7y-mur/ged/index.htm
□としょしつのあるおうち:「ゲド戦記」
http://www3.ocn.ne.jp/~thouse/gedosenki.html
10月 9, 2006 at 03:16 午前 映画・テレビ | Permalink
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2006/10/07
「長澤まさみ」-いつまでオヤジ殺しを続けるか?-
『セーラー服と機関銃』の放送間近で、さまざまなメディアに露出してる長澤まさみですが、本人と同世代のファンはどのくらい、いるのだろうか?
経歴を見ると、見事に昭和に彩られている。
初主演は『ロボコン』だし、まぁこれは、NHKで放送している高専の子達が競うロボットコンテストなのだが、明らかにあの『ロボコン』と掛けているのだし、『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ』は、説明不要の昭和の産物であり、ブレイクのきっかけとなった、『世界の中心で、愛をさけぶ』では80年代の回想シーンで高校生を演じ、『タッチ』、『ラフ』と来て、『セーラー服と機関銃』だ。
カラリオのCMでも「家の娘もこんなだったら」と世のお父さん達に想像させる。
確かに、かわいいし演技だって上手い正統派女優だと思うのだが、昭和を消費し尽くしたら、どうなるのだろうか?
昭和もろ共フェイドアウトか?
そうならない為にオヤジ達が支え続ける(お金を落とし続ける)のだろうか?
ジリ貧だと思うけどなぁ。
それとも、長澤まさみのような、正統派って呼ばれる女優を主演に据えることの出来る“物語”が、昭和の時代までで、打ち止めなのだろうか?
『日本沈没』や『スケバン刑事』など、リメイクが流行るということは、それだけ疲弊している証拠でもある。
長澤まさみは当代きっての売れっ子ではあるが、女優としてはある意味不遇だ。
今すぐにでも、昭和ドップリ状態から脱却すべきではないだろうか?
余計なお世話か(笑)。
【追記】
映画「ラフ」、コケてたんですね。
興味もなかったので、知らなかったのですが。。
若者受けを狙って、外したのか。
オヤジ達も食傷気味か。
コケた原因はその両方だろう。
益々、長澤まさみ的には『セーラー服と機関銃』なんかやってる場合じゃないと思うけどなぁ。
(演技だって上手い)は下手な印象は受けなかったというくらいの意味です。
【関連サイト】
□長澤まさみ公式サイト
http://masami.toho-talent.com/
□TBS:セーラー服と機関銃公式サイト
http://www.tbs.co.jp/kikanjyu2006/
□映画:ラフ公式サイト
http://www.rough-movie.jp/index.html
□東宝:タッチDVDオフィシャルサイト
http://www.toho-a-park.com/touch-tv/
□東宝:世界の中心で、愛をさけぶ DVDオフィシャルサイト
http://aiosakebu-dvd.jp/home.html
□映画:ロボコン プレスサイト
http://www.toho.co.jp/movie-press/robocon_press/index.html
□がんばれロボコン
http://www.ishimoripro.com/ganrobo.htm
10月 7, 2006 at 01:27 午前 映画・テレビ | Permalink
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2006/10/05
「映画監督って何だ!」って何だ!?
Yahoo!ニュース、ネタ。
日本映画監督協会創立70周年記念作品として、11月に公開される映画のタイトルです。
記事では黒沢清監督がコメントしています。
「“映画の著作権が監督ではなく製作会社にある”というのを聞いたときは驚きでした。」とコメント。
また、“作品”と“商品”の違いについても語っております。
確かに、映画の内容について語られる場合、矢面に立つのは監督であるのに著作権は認められないというのは理不尽に思います。
でも、俳優は?、脚本家は?、撮影監督は?など問題が細分化されて、ややこしい事になりそう。
音楽の世界でも、オレンジレンジやら、大塚愛やら、何とかインスパイア等、ややこしいことになっていますが、こちらは一応、作者に著作権がありますので“パクった、パクってない”などと法廷闘争が出来るのですが、映画監督にはその権利すらないというのは、大変驚きです。
現在、どのような理由で“著作権が製作会社にある”と決まったのか全然知りませんが、この映画を観ると、その発端が垣間見えるようです。
そういった意味で、大変興味の沸く映画です。
予告編を観ましたが堅苦しいものではなく、バカバカしい作りのようです。
日本映画監督協会に属している監督が、これでもかって言うくらい出演してますね。
日本映画監督協会オフィシャルサイトで、久々に大島渚監督の勇姿を拝見しました。
【関連サイト】
□Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061004-00000009-eiga-ent
□日本映画監督協会オフィシャルサイト
http://www.dgj.or.jp/
10月 5, 2006 at 11:40 午後 映画・テレビ | Permalink
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2006/10/04
「メトロポリス復元版DVD化!」+「チリンの鈴も11月にDVD発売!」-全然知らなかった。-

たまたま、allcinema ONLINEを見て発見した。
2001年、ベルリン映画祭で上映した復元版を紀伊國屋書店が発売する。
やるなぁ、紀伊國屋書店。
この復元版、2002年の東京国際映画祭でも上映したみたいだ。
柳下毅一郎氏の日記に書いてあった。
僕は84年版を当時、映画館で観た。
それは所々、着色され音楽もロックだったように記憶している。
確か、フレディー・マーキュリーとか使ってたような気がするが記憶が覚束ない。
あまり評価の良くないバージョンだと思うけれど、中学生の僕にとっては、十分面白かった。
柳下毅一郎氏の日記を読むと、今までのバージョンとは全然別物らしく、非常に楽しみだ。
それと「チリンの鈴」もDVD化するとは全然知らなかった。
レンタル専用でDVD化されてたみたいだが、キッズコーナーとか見ないからなぁ。
これも小学生の頃に観て、非常に記憶に残ったアニメだった。
所謂、トラウマ系アニメですね。
しかし、この時は手塚治虫の「ユニコ」と同時上映で、その後ずっと「チリンの鈴」を「ユニコ」と勘違いしていたのだった。
さすが、手塚治虫ぐらいに思っていました、バカでした。
こちらも早く観たい。発売元はポニーキャニオン。
【関連サイト】
□柳下毅一郎氏:公式サイト(メトロポリスについて書かれたページ)
http://www.ltokyo.com/yanasita/diary/02104.html
□紀伊國屋書店BookWeb
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=A-00474353
□ポニーキャニオン
http://visual.ponycanyon.co.jp/
□allcinema ONLINE
http://www.allcinema.net/prog/index2.php
 |
メトロポリス テア・フォン・ハルボウ フリッツ・ラング アルフレッド・アベル 紀伊國屋書店 2006-10-21
by G-Tools |
現状、画像無し
10月 4, 2006 at 12:36 午前 映画・テレビ | Permalink
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2006/10/03
終わってしまったTV番組(その2)「まんが日本昔ばなし(雪女:りんたろう演出)」-ものすごくアダルト-
深夜、または早朝でよいから放送し続けてほしい番組ではある。
大人になった今観ても、素晴らしい。
特に音楽が、まるでプログレのようである。
で、「雪女」だが、何気なくクレジットをみると、演出:りんたろう、だった。
「幻魔大戦」の監督だ。
また、制作がマッドハウスだった。
マッドハウスと言えば、現在でも第一線のアニメスタジオだ。
やはり、通常の演出、作画とは全然違った。
まず、作画だが通常の場合、2パターンある。
一つは、いかにも子供向けアニメのデフォルメされた、アンパンマンのような画風。
コメディの要素が強い、お話し向けだ。
もう一つは版画のような画風。
こちらは、救いの無い悲しい、お話し向け。
「雪女」は、このどちらでもなく、まるで“ゴルゴ13”のような、劇画調だ。
指もしっかり五本あるし、体のバランスもデフォルメされていない。
話しの展開も完全な大人向け。
「どちらともなく二人は愛し合ったのでした」と市原悦子のナレーションが入り、障子の向こうで、影絵の二人が重なり合う。
これって、そういうことでしょ。
今なら当然分かることだけど、小学生の一、二年では分からないよなぁ。
しかし、子供の時にこれを観たら、きっと記憶に残ったことだろう。
大人の目で観ても、十分、悲恋が伝わった。
誰もが知ってる物語なので、凡作になってしまう可能性が高く、ましてや子供向けだ。
それを、大人の目に堪える作品する力量、さすがだ。
演出という技術の凄さを思い知ったのだった。
【追記】
文化庁が日本のメディア芸術100選とかいうのを開催していて、アニメーション部門で、富野由悠季氏が「まんが日本昔ばなし」を六位に選んでますな。
僕自身、アニメは全然詳しくないので知らなかった。
囚人022の避難所さんのブログで知りました。
【関連サイト】
□TBS:まんが日本昔ばなし公式サイト
http://www.mbs.jp/mukashi/index2.html
□日本のメディア芸術100選:あの人の10選
http://plaza.bunka.go.jp/hundred/choice.html
10月 3, 2006 at 12:26 午前 映画・テレビ | Permalink
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2006/10/02
「インプリント ~ぼっけえ、きょうてえ~」-タブー、てんこ盛り-
【自宅にてDVD】
レンタルの返却期限が迫っており、朝の八時から観る。
当り前だが、朝っぱら観る映画ではない。
一人の女性を捜し求めて、遊郭を彷徨うアメリカ人記者(クリストファー)が、一夜を共にする女郎から聞かされた、身の毛もよだつ物語。
被差別民、堕胎、女郎、近親相姦、奇形と、一時間の間に、これでもかと言わんばかりにタブーを詰め込んでいる。
が、なにぶん一時間しかないので、個々の事柄は深く掘り下げずに、メインはクリストファーが捜し求めた、女郎(小桃)の拷問シーンにある。
拷問シーンは残虐極まりない。
アメリカでは放映禁止になり、国内上映ではボカシが入っていたようだが、DVDはボカシ無しだ。
身体の痛点をグリグリえぐる様な拷問だ。
小桃役の美知枝という女優さんであるが、出演作も「カナリア」(※カナリアも観ているのだが、全然、記憶に無い。)くらいで、ほぼ新人に近いと思うのだが、かなり役にのめり込んでいる。
よくある、女優さんが“体当たりでベットシーンを演じました”みたいなレベルではない。
次回作はどんな役を演じるのか興味の沸く女優だ。
また、原作者の岩井志麻子が拷問する役を演じているのだが、こちらも嬉々として演じている。
ホラーとは、社会に埋もれた、おぞましいもの、見てはいけないもの、触れてはいけないもの、ダブーを白日の下に晒すことだとするならば、今作品は“マスター・オブ・ホラー”の名に相応しい正統派ホラーだ。
【追記】
しかし、ちょっと短いな。
二時間位あれば、もっと背景を豊かに描写出来たろうなと思った。
原作を読むしかないかな。
クリストファー役のビリー・ドラゴだが、下手じゃないかな。
“アンタッチャブル”を観た時には、そんな事は感じなかったけれど、役を掴み損ねたのかな。
この演技のせいで、ちょっと映画に集中出来なかったりもする。
“美知枝”の公式サイトだが、インフォメーション以外、全て見れないって、ちょっとヒドイな。。。
【追記2】
美知枝であるが、結構キャリア長い。新人さんではなかった。失敬。
【関連サイト】
□インプリント ~ぼっけえ、きょうてえ~:公式サイト
http://www.eiga.com/official/imprint/
□マスターズ・オブ・ホラー:公式サイト(国内)
http://www.moh13.jp/
□マスターズ・オブ・ホラー:公式サイト(US)
http://www.mastersofhorror.net/
□美知枝:公式サイト
http://www.scenemichie.com/
10月 2, 2006 at 08:55 午後 映画・テレビ | Permalink
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2006/09/30
「ヒストリー・オブ・バイオレンス」-暴力の魅力に初めて抵抗したのか-
【自宅にてDVD】
デヴィッド・クローネンバーグは、昔から同じテーマを撮り続けている。
セックスと暴力だ。
どちらも人間に強力な快楽快感を与える。
大抵、その魅力に抵抗することは出来ない。
抵抗できるのはガンジーくらいか?
その分かっちゃいるけど、やめられない人間の在り様にクローネンバーグは、しつこく拘り続けているように思われる。
クローネンバーグだって、その魅力から自由なわけじゃないと思う。
客観的な立場にいるようでいて、その実、ドップリってな具合だろう。
あからさまに“暴力大好きポール・ヴァーホーヴェン”とは対極にいるようでいて、近からず遠からずといったところだろうか。
(※もう一回、町山智浩 著 〈映画の見方〉がわかる本80年代アメリカ映画カルトムービー篇 ブレードランナーの未来世紀 を読まなきゃダメだな、こりゃ。)
でも「ヒストリー・オブ・バイオレンス」は、今までとは違った印象を受けた。
セックスと暴力は溢れている割に憂鬱な感じは、今まで通りだと思うのだけれど、やはりラストシーンが、過去の作品とは違った印象を受ける。
殆ど同じなのだが、何か違う。
それが、暴力の魅力に対する抵抗の証ではないかと思った。
ホントに微量で、細やかな抵抗だけれど。
デヴィッド・クローネンバーグはセックスと暴力の鉱脈を掘り続けている。
「ヒストリー・オブ・バイオレンス」は、その最深部だ。
更に掘り続けるだろう次回作にも期待。
【追記】
エド・ハリスは役にハマッてた、本人もそう思ったに違いない。
そのエド・ハリス演じるマフィアが乗ってた車、クライスラー 300C。
ちょいワルを超えた人達に大変人気の車。
亀田兄弟も乗ってたかな。
クローネンバーグ、ワルの流行りをちゃんと押さえているなぁ。
映画の序盤、妻のチアガールコスプレ、かなりドン引きの状況であるが、文句一つ言わず受け入れる夫は偉いと思った(笑)。
【関連サイト】
ヒストリー・オブ・バイオレンス公式サイト
9月 30, 2006 at 03:35 午前 映画・テレビ | Permalink
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2006/09/27
「映画秘宝ホームページ」いつのまにかリニューアルしてたんですね。

なんか随分、毒っ気が抜けたサイトになったなぁと思ったら、DEXのHTMLテンプレートで作ったみたいですね。
(⇒こちらが旧「映画秘宝」ホームページ)
でも、今までは雑誌「映画秘宝」の表紙が更新されるくらいで、他のコンテンツは殆ど死んでいたのだが、どうもリニューアル後は頻繁に更新がありそうな感じ。
サイトデザインの雰囲気よりも、まめに更新してくれるほうが嬉しい。
雑誌「映画秘宝」は町山智浩氏のYesterday Oncemoreが好きだなぁ。
これを読むと、その記事の映画が無性に観たくなります。
最新情報ばかりでは無くて、昔の映画が纏まって記事になってるのが良いですね。
今後も期待です。
□映画秘宝.com
http://www.eigahiho.com/index.html
□映画秘宝 on the WEB(旧サイト)
http://www.yosensha.co.jp/hihotop.html
9月 27, 2006 at 09:42 午後 映画・テレビ | Permalink
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2006/09/26
終わってしまったTV番組(その1)「黒い太陽」-男版「冬ソナ」だったのか-
タモリ倶楽部を観るために、少し前から点けていたテレビで何気なく観たのが最初だった。
なので最初の回は知らないし、この日も途中から観たのだった。
しかし、話の筋は初回を観なくても分かる展開。
正にベタ中のベタ。
キャラクターもコテコテ。
病気の父の医療費を稼ぐ為に水商売の世界に足を踏み入れた一匹狼(永井 大)。
この手のドラマに必ず出てくる政財界の大物(峰岸徹)+絶倫(笑)。
一途なキャバ嬢など。
ベタのオンパレード。
コテコテの昼メロで女性に人気を博した「冬ソナ」であるが、ベタは男にとっても効くのであった。
分かってるのに観てしまう。
麻薬ですな(笑)。
トップに上り詰めるために仲間を裏切り、黒く染まっていく。
頂点に立つことに対する飢え。
マンガ「ベルセルク」と殆ど同じだ。
黒を象徴的に使うところもいっしょ。
違うのは「黒い太陽」は裏切るヤツが主人公。
「ベルセルク」は裏切られたヤツが主人公で、黒いヤツ(グリフィス)が外見上は白く、白いヤツ(ガッツ)が外見上は黒い。
方や水商売モノ、方やドラクエみたいなファンタジーであるが同じ根っこを持っている。「ベルセルク」も何千万部も売れている、大ヒットマンガなので、(※僕も全巻買っている。)麻薬的な所もいっしょだ。
ただ、「ベルセルク」は「黒い太陽」程、ベタ度は強くない、もっと複雑にストーリー、キャラクターが絡みあっている。
その複雑さが、ベタな複雑さなのかもしれないけど。
でもやっぱり、ベタ、強し。
■関連サイト
TV朝日「黒い太陽」公式サイト
「ベルセルク」公式サイト
9月 26, 2006 at 01:13 午前 映画・テレビ | Permalink
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2006/09/24
「スター・ウォーズ旧3部作DVD」-結局、買ってしまったが、旧3部作は単体で出してほしかった。-
SF映画の典型的オープニング、塵のような星々が広がる宇宙空間は何時観ても良い。
小学生の時に度肝を抜かれた、スクリーンいっぱいに広がるタイトルロゴ。
普通は宇宙空間の向こうからこちら側に向かってタイトルが現れる。
それがスター・ウォーズでは背後から自分を追い抜いて、宇宙の彼方に消えていく。
このオープニングには小学生の僕はホントに驚いた。
そして、ジョン・ウィリアムズの音楽!
いい歳こいたオッサンになった今でも、このオープニングにはグッとくる。
「コブラ」の著者、寺沢武一氏が単庫本の解説で言っていた。
「SFは、シンセサイザーで飲む、古いワインである。」
スター・ウォーズに限ってはホントその通りだと思った。
(※寺沢武一氏も誰かの著作を引用したかもしれません、僕自身はSF自体には詳しくなく、コブラも小学生の時に初めて買った単庫本なので記憶が曖昧です。。。)
世代を越えて観続けられる“昔話し”ですな。
「A long time ago in a galaxy far, far away・・・」は
「昔々ある所にルーク・スカイウォーカーとダース・ベイダーが居ったそうな・・・」ですね。
(※これ、町山智浩氏が言ってたのかな。)
しかしだ、旧3部作は単体でDVD一枚、1,500円で出せただろう!
特別編はBOXで持ってる。
二枚も要らないのに。
商売っ気あり過ぎだよ。
YMO、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ガンダム、スター・ウォーズは、ホント、ファンの足元みるなぁ。
9月 24, 2006 at 02:19 午前 映画・テレビ | Permalink
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2006/09/22
「シン・シティ」-スタイリッシュ過ぎね?-
【自宅にてDVD】
確かにカッコイイ。
でも、何か物足りない。
かなり残酷描写もあるのだが、それらはデザインされ過ぎていて、グロい感じは全然しない。
それが新しさであるのかもしれないけれど、つまらなさでもある。
だいたい、この手の映画で血が白いというのは納得できない。
理屈は分かる。
原作コミックはモノクロなので、黒い服を着たキャラクターが撃たれれば、その服に飛び散った血は白いインクを飛ばして表現する。
とにかく原作コミックを忠実に再現することが、この映画の基本コンセプトなのだから、そうしたのだろうけど、でも。。。
血はやっぱり赤でしょ!
赤で表現したシーンもあるのだけれど、生々しさはなく光沢のある赤い液体という感じだ、血ではない。
映像表現だけでなく、ストーリーも無駄、破綻が一切なく構成されている。
この無駄のなさと、何もかもがデザインされてしまっている事が退屈の原因だ。
この映画と似た印象を受けるのが井上雄彦 著の「バカボンド」だ。
デッサン的に破綻のない絵、コマのレイアウトから垂れ落ちる血の一点一点までデザインされている。剣豪マンガなので血は当然ドバドバ出るのだが、やはり残酷な印象は受けない。(※なんだかんだ言いながら全巻買ってますが)
これに対して、小山ゆう 著の「あずみ(映画版ではなくて、マンガ版)」はどうだろう。
小山ゆう氏も当然うまい絵なのだけれど、マンガ特有のデフォルメもあるし、デッサン的には少しおかしな所もある。
しかし、それがマイナスにはなっていない、むしろプラスに働いてる。
こちらも主人公あずみが刺客なので血は当然ドバドバ出る。
この血の噴出しかた、切り口はとても残酷だ。
柔らかい体を切り裂いた感じが感触として伝わってくる。
デッサン、デザインを極める事は長所でもあり、短所でもある。
生々しさも映画の魅力の一つだと思うのだがなぁ。
コミックの表現に忠実に従い過ぎて、映画としての魅力を半減させてしまった、そんな印象の映画だった。
9月 22, 2006 at 10:47 午後 映画・テレビ | Permalink
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2006/09/21
「ピーター・ジャクソン版キングコング」二度目。映画=神殺し、か?
【自宅にてDVD】
ピーター・ジャクソン版キングコング、DVDでまた観る。
映画館で観た時は、この時代にキングコングは、しっくりこないなという印象だったのだが、DVDで見直してみたら、名作だと思った(笑)。
この印象の違いは何だろう?
キングコングの男気に感動し、ラストのビルの天辺での戦闘機にバリバリ撃ち抜かれるシーンでは、軽く泣きそうになった。
やはり、男は甲斐性なのか、きっとそうだろう。
また、ナオミ・ワッツのコングに向けた惚れた視線も完璧だ。
派手さは無いが、芯の強そうな、それでいて古典的な美しさを持ったナオミ・ワッツ以外は考えられないという、ドンピシャのキャスティング。
まぁ、古典的なのはコスチュームもメイキャップもそのように造形しているので、当たり前と言えば、当たり前だけど。
ナオミ・ワッツの確かな演技力でアン・ダロウ(ナオミ・ワッツ)がコングに惹かれるように、僕もコングに感情移入してしまった。
これがもし、二コール・キッドマンとかだったら古典的な美しさを持ってるところは同じでも冷たすぎなんだろうな、きっと。
また、ピーター・ジャクソンが自身を投影しているに違いない、映画監督カール・デナム(ジャック・ブラック)の台詞にもグッと来た。
「未知の世界を皆様にお届けする、映画料金で」(だったかな?また見直さないといけないのか・・・)
これがピーター・ジャクソンの全てじゃないかと思う。
本来ならば観ることすら出来ない世界、事柄を映画料金っぽっちで惜しげもなく提供する。
「それが映画なんだ」と思っているに違いない。
莫大な利益を上げるという目的も当然ある訳ですが、その山師的な部分も含めて映画であると。
でも、その代償は大きい。
未開の地の神であるコングを美女で釣って、恐慌真っ盛りのNYに引っ張り出し、見世物にした挙句、殺してしまうのだから。
神殺しだ。
ピーター・ジャクソンも当然そのことに自覚的で、映画=神殺しとでも言いたげだ。
エイドリアン・ブロディ演じるジャック・ドリスコルが言う、
「カール・デナムは自分が愛しいと思うものを破壊してしまう」
映画も大量生産、大量消費の産物で、如何に神聖があり、観客を魅了したものでも消費し尽くされたら見向きもされない。
そもそも、観ることが出来ないから神聖であり未知なので、映像化してしまったら、それらは無くなる。
やっぱり、映画=神殺し、か。
でも、ここでもう一つの段階がある。
見向きもされないものを、もう一度蘇らせるもの、それもやはり映画であると。
より強度を増して。
だだし、まっさらに再生するのではなく、失われゆく痕跡そのものを再生する。
神聖さ未知なるものは失われているだろうけど、思いは、記憶は残る。
ピーター・ジャクソンのその思いが見事に結実した映画だった。
時が経てば経つほど、名作としての評価が高まるのではないでしょうか?
ピーター・ジャクソン、次回作は何を撮るのかな?
9月 21, 2006 at 12:34 午前 映画・テレビ | Permalink
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2006/05/17
「ブロークバック・マウンテン/BROKEBACK MOUNTAIN」-嫁の演技、光る+こまねこ-
【渋谷シネマライズにて】
やっと、観る。公開からかなり経っているので、さすがに館内ガラガラ。
まず、目に入るのが登場人物達の服装だ。
カーハート、ディッキーズなど古着屋でお馴染みの装い。
当たり前だが、彼らは別にお洒落で着ている訳ではなく作業着として着ている。
日本での、寅壱のドカジャンみたいなものだ。
本来の着方を目の当たりにする。
まぁ、役者が着ているのだし、衣裳担当が選んでいるのだから、当然、雰囲気はあるのだけれど。
主人公の二人が期間労働者として山で羊の番をするのだが、羊の数が半端ではない。
山の側面びっしり。CGか?
羊の群れを後ろから見ると、太ったオバちゃんが大量にのそのそ歩いているようで、ちょっと面白い。
二人のカウボーイの事の馴れ初めは、かなり唐突に始まる。
ジャック(ジェイク・ギレンホール)に強引に誘われ、始めイニス(キース・レジャー)は拒否反応を示すが、その後すんなりと応じる。
タチの側(イニス)が唾を自分の性器につけて挿入するのだが、初めて人が何故そんな事を知っているのだろうか?
原作には、ゲイ的なニュアンスを含む前ふりがあるのだろうか?
その後、ギクシャクした関係のまま別々の人生が始まるのが、イニスの妻(アルマ)役のミシェル・ウィリアムスが大変、素晴らしい。
この映画ので一番印象に残った。
「スピーシーズ/種の起源」に出演してたようだが全然記憶に無い。
「スピーシーズ」自体がどうでもいい映画なのだが。
ミシェル・ウィリアムスは野暮ったい見た目だが、アメリカの片田舎の労働者階級の主婦という役にはぴったりだ。
夫の嘘に耐える、そして怒りを滲ませながら問い詰める姿は迫力がある。
夫婦のベットシーンで、ちょっと気になったのが、キスから始まり何やかやがあって、いざ挿入という場面でイニスは妻をかなり強引に後ろを向かせ、挿入する。
その時、妻はちょっと苦悶の表情をするのだ。
変なベットシーンだなと思った。
後でパンフレットを読んでみると、やはり原作では夫イニスは日常的にアナルセックスを妻に求めていたとある。
やっぱり、そうだったのか。
頭にあるのはジャックへの想いと欲望で妻の顔など見たくないのだ。
メインの二人のカウボーイのシーンよりも、この夫婦間のやり取りのシーンのほうが、この映画は面白いように思う。
ラストシーンは良かったけれど。
失ったがゆえに結晶化された愛を胸に秘めて落ちぶれていくカウボーイよりも、残酷な現実に折り合いをつけようとする妻に共感したからかな。
いや、ただ単にこの女優さんの演技が素晴らしかったからだろう。
追記:
ブロークバック・マウンテン本編前に上映された「こまねこ」。
公式サイトでストリーミングで観た時には、あまりのかわいさに何度も再生して観たものだが、スクリーンのデカイ画面でみると、あまりかわいくない(笑)。
14インチ、テレビぐらいが限界か。
箱庭感が無くなっちゃうだよなぁ、画面がデカイと。
※ストリーミングもう終了してる。
関連サイト
□ブロークバック・マウンテン
http://www.wisepolicy.com/brokebackmountain/
□こまねこ
http://www.komaneko.com/

5月 17, 2006 at 04:24 午前 映画・テレビ | Permalink
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2006/05/16
「飢餓海峡」「おいら女蛮」など、節操なくバラバラと観る。
【自宅にてDVD】
「飢餓海峡」
序盤のローアングルで走る汽車を捉えた構図は、とても力強く気合充分。
これから、さらに面白くなる事を予感させる。
今ではすっかり「スーさん」になってしまった三国連太郎が、いい顔で飯(芋か?)を喰う。
とても絵になる。
さらに左幸子もとても旨そうに握り飯を喰う。
握り飯は笹で包まれているので、食べ終わるとポーンと汽車の窓から投げ捨てる。
その躊躇の無さが大らかで思わず笑ってしまった。
ペコロジーの現代では撮れないシーンだ。(本筋には何の関係もないが。)
しかし、タイトルが示す通り「喰う為に生き、生きる為に喰う」時代だ。
飯を喰うシーンはとても重要だろう。
他にも伴淳三郎演じる刑事の家庭で子供達が芋粥を取り合いし兄弟ケンカをするシーンなど、貧しい時代背景を象徴させる。
そのような時代に恩を受け、その恩を返すことのみを生きる希望とし、その希望によって悲劇が訪れる。
相手をした男の汚れた親指の爪を後生大事に持っている、たった一つの希望だ。
その爪を愛でる姿は不気味だが悲しい。
「おいら女蛮」
永井豪原作、井口昇監督作であるが、スカトロシーンが無いだけで、基本的にはAVと同じだ。
エロギャグ映画なのでバカバカしくも、ちょっぴり切ない。
男が思い描く学園モノの王道。
しかし女の子同士の恋愛モノ好きだなぁ、この監督。まったくぶれない。
(女蛮、女じゃないけど。)
初めて井口昇監督作のAVを観た時にも、このご時世にストーリーがしっかりあるAVも珍しいなと思ったと同時に非常に良く出来ていて驚いたのだが、やはり出る杭は出るのだ。
猫目小僧も楽しみだ。
関連サイト
□猫目小僧
□おいら女蛮
5月 16, 2006 at 03:36 午前 映画・テレビ | Permalink
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2006/05/09
「憂国」-タナトス全開。
【自宅にてDVD】
DVDが出たので早速買う。
正味、28分。短いな。6000円、高いな。
まあ、特典ディスクついてるし、しょうがないか。
巻物を広げてゆくと、三島由紀夫直筆のタイトル、粗筋が現れるタイトルロール。
単純だが斜めから射し込んだライティングが、白手袋、巻物の白地、墨で書かれた文字を浮き上がらせ美しい。
思わず、「おお!」と唸る。
三島由紀夫の筋肉の鎧よりも、鶴岡淑子の眼力、力強さに目がいきます。
本編は伴奏付きの無声映画だ。能の舞台を再撮したような絵作り。
余計な物は一切無く、ミニマルだ。
私財をはたいて製作し、なおかつ原作、脚色、美術、監督、出演しているのだから、自主制作映画だ。
よって、映画自体も自己愛に貫かれている。
国家と同志の間で引き裂かれ死を選ぶのだが、その死は美しくなければならない。
しかし、切腹なので、腸がドバドバ出てきたりと死に様自体は、けして美しくはないのだが、死を選んだということ自体が美しいということなのだろう。
国を憂うより、美しく死にたいという欲望が勝っているように思う。
しかし、一人で死んでしまったのでは、ただの孤独死に過ぎず、その全てを受け入れ供に死を選ぶ妻がいることによって、初めてその死は完成する。
母性に抱かれて死す。
ナイーブで、少女マンガのような世界だと最初は思ったのだが、もっと身勝手な欲望だ。
ヴィンセント・ギャロの映画に近いと言ったら、怒られるだろうか?
でも、女性はこのタイプ、好きだもんなぁ。
昨今の純愛ブームと「憂国」は相性が良いかもしれない。
「セカチュー」も男の身勝手な欲望に貫かれた内容だったもんな。
先ほど、母性と書いたけれど、必ずしも女性である必要もない。
自分を全面的に認めてくれる相手であれば性別は問わない。
そして、自らの死を看取ってほしい、その後必ず自分の後を追って自害してほしい。
ホント、身勝手な映画だ。
しかし、自主制作映画の王道といえば王道だ。
自己愛なくして自主制作映画なしだ。
追記:
そうだ、三島原作の「春の雪」も「セカチュー」の監督(行定勲)だった。
5月 9, 2006 at 02:52 午前 映画・テレビ | Permalink
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2006/04/06
「NANA」 -アニメも始まったのだが。。-
【自宅にてDVD】
昨日からアニメも始まった「NANA」ですが、平成版「TO-Y」かと思いきや全然違いました。
アニメは真顔とギャグっぽい絵の切り替えしがテンポ良く、いかにも漫画の典型パターンで、それなり面白いですが、映画はそうはいきません。
「TOY」は、やはり音楽に拘りがあり、インディーズで行くかメジャーで商業路線で行くかなどの葛藤があるのですが、「NANA」にはそれが全くない。
恋愛と友情が中心であり、バンド、音楽はネタでしかない。
なので、劇中の音楽、バンドはすごくダサい。
中島美嘉演じるナナの想い人(古い表現だな)、レン(松田龍平)のバンドTRAPNESTは日焼けしたジュディオングみたい衣装を着た女性ボーカルのドロドロのニューミュージックだ。
(J-POPという言葉すら当て嵌まらない、でも売れたんだよね、この曲。)
そもそも、このレンはシド・ヴィシャス丸出しのカッコしているくせに、ニューミュージックを演奏して、客がペンライト振ってる状況に矛盾を感じないのだろうか?
普通、葛藤するだろう。
しかし、このコンサートシーンは逆にリアリティがあった。
地方でロックバンドをしていたのだが、上京してメジャーデビューすると、ニューミュージックになってしまう。
そこに葛藤は無い。
日本の音楽の状況を象徴してると思ったが、現実はこれよりマシなようにも思う。
思い過ごしか。
音楽不在の女の子映画。
これに尽きる、オッサンが観るものじゃない(観る前から分かっていたのだが。。)
しかし、主人公を唯の女の子にしたのは上手い。
普通は、中島美嘉演じるナナを主人公にすると思うのだが、傍観者である普通の女の子を主人公にした事によって共感を得やすい。
また、特別な才能を持ったナナ(中島美嘉)を通して高揚感も味わえる。
分担が良く出来ている。
このナナ(中島美嘉)も実は普通の女の子だったりもする。
女性はあまり自分と懸け離れたキャラクターには興味がないのだろうか?
まぁ男の漫画は超人ばっかり出てくるからな、この辺、思考が全然違うのだろう。
気になったのは、たぶん青森から上京して来るのだが全然訛りがありませんね、映画もアニメも。先に上京していた彼氏が訛りが取れていてショックを受けるとか、そのような描写があるとリアリティがあるのだけれどなぁ。
(※スーパーカーのメンバーが喋ってるの聴いた事ないけど、訛りあるのかな?)
あと一つ、ドラマーは坊主にグラサンって規則なのか(笑)。
「TO-Y」もそうだった。
ARBのキースが元ネタなのだろうか?
関連サイト
□映画「NANA」公式
http://www.nana-movie.com/
□集英社「NANA」公式
http://www.s-nana.com/
□日本テレビ「NANA」公式
http://www.ntv.co.jp/nana/
4月 6, 2006 at 05:01 午前 映画・テレビ | Permalink
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2006/03/08
「頭文字D THE MOVIE」車、彼女、挫折、親父、完璧。
【自宅にてDVD】
全ての映画がそうだけど、映画館で観ればよかった。
スクリーンで観たら峠のドリフトは迫力があっただろう。
普段はバラエティ番組で出川哲郎を乗せてウイリーしたり、一斗缶に突っ込んだりしてるタカハシレーシングが本気の走りを見せる。
また、ドリフトの映像とエイベックストランスの音楽が異常に相性が良い(笑)。
ヤンキーがデカイ音でトランス(あくまでもエイベックストランス系)を掛けながら町を流すのも分かる気がした。
高揚感があるんだろうな、迷惑だけど。
秋名山の空撮もとても美しい。
本作の主戦場である五連ヘアピンカーブの空撮や、車自体を見せずに森林を移動するカメラワークだけでスピード感を演出する方法など、とても上手い。
「ワイルドスピード」のようにCGでスピード感を出す方法を取らず(※スターウォーズのワープ状態、または2001年宇宙の旅風)、あくまでカースタントがメインなのが良かった。
(※ワイルドスピード自体は悪い映画ではない。結構、好きだ。)
俳優陣も魅力的だ。
殆ど「インファナル・アフェア」組だが、本作のほうがキャラクターにハマッてる。
吹き替えなので最初は少し違和感がある。
アニメを見てる感じだ。
特にアンソニー・ウォン演じる父親がメル・ギブソンの声優さんなので、リーサル・ウェポンの顔がちらつくが、直ぐに気にならなくなる。
しかし、香港、韓国の俳優は何故、魅力的なのだろうか。
顔つきが昭和的というか古いからなのだろうか。
オスとしての魅力を維持しているのだろうか。
日本で映画化されたら妻夫木聡が主演したりするのだろうか。
でも、きっと違和感があるはずだ。
車だってハチロクではなくマーチが似合う。
実際、「69」も「ローレライ」も違和感があった。
良くも悪くも洗練されているのだろうな。
日本のストリートカルチャーである走り屋映画を堪能。
観て損は無し。
関連サイト
□頭文字D THE MOVIE公式
http://www.initial-d.jp/index2.html
□頭文字<イニシャル>D THE MOVIE avex side公式
http://avex.jp/initial-d/index.html
□タカハシレーシング公式
http://www.takahashiracing.co.jp/
3月 8, 2006 at 03:23 午前 映画・テレビ | Permalink
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2006/03/07
「ヒトラー ~最期の12日間~」ブルーノ・ガンツ、ヒトラー激似。
【自宅にてDVD】
チョビ髭と七三、そして軍服を着れば、誰でもヒトラーを真似る事は出来る。
それ程、ヒトラーはキャラ立ちしているという事なのだが、ブルーノ・ガンツ演じるヒトラーは、ありがちな形骸化されたキャラとしてのヒトラーではなかった。
本作では側近に裏切られ、また信用も出来ず、追い詰められ、ヒステリックにがなりたてる、孤独な人間だった。
当時のプロパガンダフィルムなどで目にする、国民を熱狂させた勇姿は跡形も無い。
また、女性に対しても優しい。
秘書として雇われた女性ユンゲの視点で描かれているのだが、彼女だけでなく他の女性に対しても優しい。
彼女達にしてみたらヒトラーは畏怖の対象であり、また憧れの人であり、且つ自分達の為に身を粉にしていると映るのだ。
彼女達は最後までヒトラーを裏切らなかった。
諦めたのはヒトラーのほうだ。
このようにヒトラーを人間として描いてしまった本作に対しては賛否両論のようだ。
ヒトラーは極悪非道、鬼畜でなければならず、優しさなどあってはならない。
ましてや、ソ連の侵攻にビクつく姿などは以ての外なのだろう。
しかし、僕達が持っているヒトラーのイメージを、また幹部達のイメージを本作は覆す。
ゲッペルスにも妻子がいるのだが、彼女達がどのようにヒトラーと共にしたのかなどは、あまり知られていなかったのではないかと思う。
ヒトラーの周辺の人々を克明に描いた事は、この映画の醍醐味の一つだ。
大虐殺を行ったのは悪魔ではなく一人の人間とその部下達であり、賛同したのも普通の人々なのだ。
ヒトラー及び周辺の人々に親近感を持ってしまう危険な作品だが、ラストでトラウドゥル・ユンゲ本人が登場し、
「若さゆえに知らなかったでは済まされない」
の一言が胸に突き刺さる。
老婆になってもなお、自らの過去を悔いる人生とは、なんと重いことだろう。
【追記】
売れない画家時代のヒトラーを描いた“アドルフの画集”も地味だが良い映画。
画家として成功していたら。。。
歴史に“たら”“れば”は無いのですが。
いつ頃からヒトラーが一般的になったのだろうか?
少し前までヒットラーだったけどな。
関連作品
3月 7, 2006 at 01:50 午前 映画・テレビ | Permalink
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2006/02/27
「ホテル・ルワンダ」言葉、出ない。困った。
【シアターN渋谷にて】

満員御礼。4時頃の回を観ようと思って、1時間前くらいに行ったのだが、既にこの状態。最終回しか空きがなく、その場で最終回の整理券を買い、その合間に「RIZE」を観て、その後2時間ほど時間を潰す。
そう、実は結構前に観ていたのだが言葉にならず現在に至る。
(その合間にPSE法の事など書いていたのだが。。)
本当に言葉に詰まる。
よって、感動も無い。
もちろん、退屈だった訳ではない。
上映の間は食い入るように観ていたのだが、上映後は困った。
感動したとか、悲しかったとか、良かったなど、それは共感出来たから、何か共有するものがあるから出来るのであって、この映画で起こった事と自分の実生活とは、あまりに懸け離れている。
(最近、こんな事ばかり書いているような気もするが事実だからしょうがない。)
しかし、ルワンダで起こった内戦と自分の生活とは本当は地続きなのだ。
その事が、また嫌な感じなのだ。
知らずに生きてきた事も、また知ったところで、現状何かする訳でもない自分も。
ホントはニュースで知っていたのだが、知った以上の事は何もしていないし忘れていた。
原油や鉱物(携帯のバッテリーになったりしてる、たぶん)などの、アフリカの恩恵を受けていながら、内実には目を向けない。
向けたとしても知識としてだけだ。
フォアキン・フェニックス演じるジャーナリストが、
「先進国の人間は“ひどいね”と言って、一日で忘れる。」といった内容の事を主人公に向けて言っていたが、完全に僕は“こちら側”の人間だ。
別に楽して生きてる訳じゃないけど、彼らとは根本が違いすぎる。
また、曖昧な情報でしか知らないし、知りもしない。
そして、このような映画と出会った時に、僕に出来る事は打ちのめされる。
これだけだった。
鏡のような映画だ。
必ず観た人にはね返ってくる。
たぶん、嫌な気持ちになり無力感も湧き起るのだが、無視すべきではない。
その後、何が出来るのかと言えば、やはり映画を観続ける事しか出来ない。
非力な方法だけれど、“無視はしない”。
ここからしか始めようがないからだ。
必見。
【追記】
これを書いた後、町山智浩氏のホテル・ルワンダの記事を読み返したのだが、見事に見透かされていました。
書いてる時に気づけよ!なんですが。
下記が町山智浩氏の記事です。
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20060114
↓大変な事になっているようです。知りませんでした。
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20060225
関連サイト
□ホテル・ルワンダ公式
http://www.hotelrwanda.jp/
□ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/
□特殊翻訳家:柳下毅一郎氏公式
http://www.ltokyo.com/yanasita/index.html
□シアターN渋谷
http://www.theater-n.com/
2月 27, 2006 at 02:50 午前 映画・テレビ | Permalink
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2006/02/24
「サラ、いつわりの祈り」ホントに偽りだった。
【自宅にてDVD】
とにかくアーシア・アルジェントがホワイトトラッシュを完璧に演じていた。
髪の毛パサパサ。脇毛ボーボー。肌もブツブツだ。
普通の女優さんだったら、この仕事は断る。
でも、この映画はアーシア・アルジェント自身が監督してるので、監督の要求は自分の要求。
NGは無い。
ポスト、コートニー・ラブ間違いなし。
(村上龍原作コインロッカー・ベイビーズのアネモネ役はどうだったのだろうか、早く観たい。)
近頃の俳優、女優さんは平気でタトゥーを入れているけど役が限定されないのかな。
ジョニー・デップしかり、アンジェリーナ・ジョリーしかり。
まぁ十分、限定されているか。
あとはCG屋さんが徹夜で消してるのかな。
内容はJ.T.リロイの自伝を映画化。
歪んだ形ではあるけれど、母子の絆の物語。
コマ撮りアニメーションを使ったり、アート系の匂いもする。
デビット・リンチっぽいと言えば、ぽいところもある。
当然、完成度は全然違いますが。
しんみりと観ることができた。
が、しかし今日、町山智浩氏のブログを読んで驚愕する。
J.T.リロイ、実在しない!
作家志望の女性がでっち上げたフィクションだった。
しかし、DVDにはJ.T.リロイのインタビューやメイキング映像があったのに。
そこに映っていたのは作家志望の女性の彼氏の妹。男じゃない!
いつもデカいサングラスをしてたのはその為だったのか。
女性っぽい顔立ちしてるなぁ、とは思ったのだが。
と言う事は現在、販売されているDVDはレア物になるかも。
パチモンが映っているインタビューやメイキング映像は、廉価版などが発売される時は削除だよな、きっと。
とにかく、僕のしんみりを返せ!(笑)
関連ブログ
□ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20060221
□cinemacafe.net | 『サラ いつわりの祈り』アーシア・アルジェント&J.T.リロイ来日インタビュー
http://blog.cinemacafe.net/photorepo/archives/200504/
□ランド・オブ・ザ・デッド公式
http://www.lotd-movie.jp/top.html
【追記】
cinemacafe.netがリニューアルして、来日インタビューへのリンクが切れてたので、直しました。2006.11.16
2月 24, 2006 at 03:08 午前 映画・テレビ | Permalink
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2006/02/19
「RIZE」切実さが生み出すオリジナリティ
【渋谷シネマライズにて】
溺れる者は藁をも掴む。
これは日本の諺だけれど、彼らの中の一人はこう言った。
「溺れていたら板切れでも掴みたくなるだろ?これが俺達の板なんだ。」
彼らにとってダンスは板だった。
選択の余地は無い。
残りの道はギャングになるか、ヤクの売人になるか、逆にヤク中になるか、路上で殺されるしかない。
ギャングは一見するとカッコイイ。
羽振りも良さそうだ。
過酷な状況から一発逆転、成り上がる為の最短手段だ。
しかし、彼らはギャングになることを選択しなかった。
何故だろう。
それはギャングの末路を知ってるからだろう。
自分の周りを見れば一目瞭然だからだ。
父親は刑務所にブチ込まれ、母親はヤク中、娘は敵対するギャングに射殺される。
そんな事件が日常茶飯事に起きている環境なのだ。
確かに映画の中で母親はインタビューを受けているけれど父親の存在が消えていた。
ダンスしかない。
この切迫した状況が僕には想像出来ない。
希望を持たずとも、それなりに生きることが出来てしまうからだ。
会社からの帰宅途中に目にする光景なのだけれど、閉店したデパートの入り口の空きスペースで若い子達がダンスの練習をしている。
熱心に技を教えている先輩らしき子もいる。
この若い子達にとってもダンスは板切れなのだろうか?
時期がくれば、まともな仕事を見つけるのだろうか?
きっとそのほうが幸せなのは間違いないと思う。
オリジナルなものが生まれる場所は、あまりに過酷だ。
日本も安全神話が崩れつつあり、国内の経済格差も広がっていく。
そうなれば、このアメリカのような環境になり、そこからオリジナルなものが生まれるのだろうか。
ブレイクダンスをエンターテイメントに取り入れ、世界中に浸透させたマイケル・ジャクソンのビリー・ジーンのダンスをフレッド・アステアは“怒りのダンスだ”と評した。
この映画のダンスはさらにそれを上回る。
キャッチコピー“踊ってるんじゃない。闘ってるんだ”に嘘偽りはなかった。
レゲェダンスに近い感じもあり、腰を芋虫のようにくねらせる。
しかしレゲェダンスは、かなりセックスアピールが強い。
例えそれが男の性的欲求を満たす為ではなく女性が主体的に選んだとしても。
(※レゲェダンスは男性よりも女性を魅了してるようだ。
かわいい、綺麗、美しい、にセクシーが加わった。)
この映画でもセックスアピールが強いダンスのことをストリッパーと呼んでいた。
しかし、そのダンスはあまりに激しく、力強く、セックスアピールを突き抜けて誇り高い。
身体機能を全開にして、まるで痙攣してるように激しく腰を振り、手足を振り回し、一瞬フリーズしたかと思うと、さらに激しさを増す。
「エロかわいい」とか言ってるものとは次元が違う。
簡単には商業に取り込めないと思う。
取り込んだとしても、それはもう本来の姿とは懸け離れてしまうはずだ。
このダンスは彼らの生き様と結び付いたものだからだ。
彼ら自身も成功に必ずしも執着していない事が潔い。
RIZE(這い上がる)=“成り上がり”ではないのだ。
成り上がって、改造高級車を乗り回し、ビッチな女をはべらかす。
これは典型的なギャングスタのスタイルで日本のヒップ・ホップも、このスタイルを真似ているのだけれど、このスタイルを拒否している事は新しいムーブメントの証拠だ。
切実な意志から生まれたダンスは圧倒的な強度を持つ。
その強度に触れる事は、あやふやで煮え切らない日常を生きてると感じる人にこそ必要だろう。
必見。
関連サイト
□RIZE公式
http://www.rize-movie.jp/index2.html
□映画瓦版
http://www.eiga-kawaraban.com/05/05121602.html
2月 19, 2006 at 03:57 午前 映画・テレビ | Permalink
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2006/02/14
「キャリー2」アメフト筋肉バカ VS GOTH娘
【自宅にてTV】
意外と拾いものだった。
オリンピックをシカトして観る価値はあった。
ホラーというより孤独なGOTH高校生の物語。「MAY※とても良い映画」と瓜二つ。
「キャリー」の名前だけを借りた別物だと思っていたが、一応、続編だった。
前作でキャリーを苛めていた女の子(最後にキャリーに足首を掴まれる悪夢を見た子)が校長先生となって登場。
エイミー・アーヴィング本人が演じていた。
アメリカン・ビューティーでケビン・スペイシーにヤラれそうになった女子高生を演じたミーナ・スヴァーリが出演。
主人公とGOTH友達。
しかし、アメリカの田舎の高校が舞台となると「ナポレオン・ダイナマイト(バス男)」でもそうだったが、フットボール部の筋肉バカ+極悪チアリーダー VS GOTH高校生+オタクの構図で描かれることが、ほんと多い。
コロンバイン高校もそうだったかな(※エレファントを見直さないと思い出せない。)。映画では大抵、筋肉バカの父親が町の有力者で暴行事件を揉み消すのだ。
アメリカ映画のセオリーとしてではなく、現実でも頻繁に起こっているのかな?
まぁ日本でも京都大アメリカンフットボール部元部員の集団女性暴行容疑事件とかあったからなぁ。
しかし、映画ではGOTH少女といえどもアメリカ人なので、花形スポーツのアメフト選手にやさしくされるとコロッといってしまうのだった。
そこがまた悲しい。
2月 14, 2006 at 02:19 午前 映画・テレビ | Permalink
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2006/02/10
「ゴジラ」の作曲を手懸けた伊福部昭さん死去。
先週ナムジュン・パイク氏が亡くなった。
そして昨日「ゴジラ」の作曲を手懸けた伊福部昭氏が亡くなった。
フルクサスの事はあまり知らないのですが、テレビを重ねて作られたロボットは記憶に残ってる。
伊福部昭氏は何と言っても「ゴジラ」だ。
昔、たぶんNHKだったと思うけど、伊福部昭氏のインタビューを観た事がある。
その時にゴジラ以外の曲を初めて聴いた。
ゴジラっぽかった印象がある。
YAHOO NEWSの記事で、それが“伊福部節”と呼ばれている事を知った。
ご冥福をお祈り致します。
関連記事
□ひっかかり:坂本龍一ブログ
http://blog.sitesakamoto.com/
作曲家・伊福部昭さんが死去
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060208-00000015-yom-soci
ナムジュン・パイク氏が死去 ビデオアートの先駆け
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060130-00000230-kyodo-ent
2月 10, 2006 at 02:14 午前 映画・テレビ | Permalink
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2006/02/07
「惑星大怪獣ネガドン」昭和黄金時代
【自宅にてDVD】
竹熊健太郎氏のブログ、「たけくまメモ」で紹介されていた「惑星大怪獣ネガドン」を観る。
お店で「宇宙人東京に現わる」の隣にあったので、勢いで一緒に買ってしまった。
新海誠氏と同じく一人で作ってしまった特撮映画。
それも特撮技術は一切使わず、全編3DCGで。
製作者は粟津順氏。
いきなり、「昭和百年」と出る。
思わず、にんまり。
クレイジーケンバンドのアルバムにも「昭和七十七年、お~っと2002年」というナレーションが入る曲があるのを思い出す。
とにかく、細部まで良く出来ている。昭和当時のフィルムの質感を出すため、通称“粟津フィルター”と呼ばれる効果を開発した。(※粟津順氏本人がインタビューで答えていました。)
湿り気を帯びて滲んだ感じ。
押井守監督「イノセンス」の質感に近いものがある。
予算もソフトの性能も桁違いだろうし、実際、質感だって雲泥の差があるけれど、個人でも、ここまで出来るという驚きはある。
低飛行するジャンボ、七四式戦車(たぶん)の描写、雨の質感など、押井守監督に影響を受けているだろうなと思われるシーンも見受けられる。
まぁ、特撮映画狂が戦車の描写を疎かにする訳がないだろうけど。
しかし、基本的にクリアーなCGで、湿り気を帯びた空気を作り出すのは苦労しただろうなと思う。
物語は定型通り。意外性は一切ない。
逆に、この映画は“ベタ”な展開にこそ意味がある。
特撮映画としての“ベタ”を抽出し凝縮すること、“ベタ性”を強調することが製作者、粟津順氏の意図なのだから。
それは“ネガドン”の造形にも見て取れるように思う。
もしノスタルジーに浸った作品ならば、“ネガドン”の造形はもっと着ぐるみ風になるはずだ。
実際の“ネガドン”は今風な造形をしている。
昭和の怪獣の造形には見えない。
この事からも真っ当な怪獣映画を作る事が最大の目的で、昭和懐古してる訳ではないことが分かる。
昭和懐古に浸るのが目的ならば、そもそも一人でCGによって製作しないだろう。
仲間達と手作りで、着ぐるみ特撮を作製する筈だから。
真っ当な怪獣映画を製作しようと思ったら、昭和になってしまう。
そういう事だ、きっと。※
昭和とは改めて黄金時代だったのだなと再認識した。
(たぶん、昭和50年代前半くらいまでとは思うけど。なにせ昭和は長いから。)
本編25分と短いので、続けざまに二度三度観賞できる映画です。
※「ゴジラ FINAL WARS」を観れば、もっとはっきりする。
あれは怪獣映画とは言えない。ゴジラをネタにしたアクション映画だ。
プライドに出てる格闘家も随分出演してたし。
ドン・フライとか子供が見ても分からないだろうに。
ゴジラはもっと早くに終わらせるべきだった。
【追記】
この映画でロボットがドックに格納されているシーンで、かなり昔に観た実相寺昭雄監修の「ミカドロイド」を思い出した。
かなり鬱屈した映画だった印象が残ってる。
関連サイト
□惑星大怪獣ネガドン公式
http://www.h2.dion.ne.jp/~magara/project.html
□スタジオマガラ公式
http://www.h2.dion.ne.jp/~magara/
□たけくまメモ
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2005/11/post_8c84.html
□新海誠氏
http://www2.odn.ne.jp/~ccs50140/
関連書籍
2月 7, 2006 at 03:39 午前 映画・テレビ | Permalink
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2006/02/06
「風の谷のナウシカ」「ラヂオの時間」「ハイ・クライムズ」だらだらとテレビで。
【全て自宅にてTV】
「風の谷のナウシカ」
金曜ロードショー。
本編はいつも通りなのだが、てっきり「ゲド戦記」の予告編を放送するのかと思っていた。
ていうか、それがメインだろ普通。この時期なら。
しかし、何も無いかのごとく終了。
がっかり。
「ラヂオの時間」
土曜、プレミアムステージ
業界の内幕を皮肉りながらも、実はこの映画自体が業界どっぷりという印象を受ける、おかしな映画。
結局のところ自己肯定だけか。
原作は三谷幸喜氏自身が主宰していた劇団のものらしいから、仕方が無いのかもしれないが、テレビをメインの仕事場にしてる人間が、そのテレビ業界を皮肉る事で初めて作品としての面白さが生まれるのであって、他業種を皮肉ったところで、それはポーズに過ぎない。その選択の嫌らしさのみが残る。
しかし、このバランス感覚が無ければ日本で大金を賭けたエンターテイメント映画は作れないのだろう。それを観客も望んでいるようだし。
日本からウディ・アレンは生まれない。
ヘコむ映画だった。
「ハイ・クライムズ」
日曜洋画劇場
「ジャー・ヘッド」絡みなのかな?
それにしても日曜洋画劇場、モーガン・フリーマン好きだな(笑)。
ものすごい出てるように感じる。
関連サイト
□スタジオジブリ
http://www.ghibli.jp/
2月 6, 2006 at 03:19 午前 映画・テレビ | Permalink
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「七人の弔」怖いダンカン
【自宅にてDVD】
ダンカンはいつからこんな怖い顔になったのだろうか。
これまでもオドオドした内気な人物や、その飄々とした風貌を生かした演技をさまざまな映画で観ることは出来たけれど、これはまったく別物といった感じだ。
当然、バラエティ番組などのテレビでは見せることのないダンカンがいる。
この落差は、きっと師匠譲りなのだろう。
今回の映画が初監督なのだけれど、ぎこちなさは全然ない。滞りなく物語は進行する。
極力、音楽の使用を避けているのも素晴らしい。
絶え間なくサントラが鳴り響いている映画は逆に退屈だ。
他の俳優陣も癖のある役者を集めている。
ただし、奇をてらっているわけではないので嫌味な感じは受けない。
その経験豊富な大人の俳優陣に比べると、子役達がちょっと力量不足な感じは否めない。
でも、観て損のない作品。テレビでは出来ない内容の物を作る。
映画として、とても真っ当な作品でした。
関連サイト
□七人の弔公式
http://www.office-kitano.co.jp/7tomurai/
□川原真琴&柳生みゆ 特別ブログ powered by 七人の弔×ココログ
http://7tomurai.cocolog-nifty.com/
2月 6, 2006 at 01:57 午前 映画・テレビ | Permalink
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2006/01/31
「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」 原初への回帰と再生としてのノイズ。
【テアトル新宿にて】
ネタバレしてるかも。
やはりデカイ音は良い。
通常の上映とは異なり、スクリーン前にJBLのスピーカーを左右に2個ずつ積んでいた。
爆音とまではいかないけれど、それでも中途半端に古い映画館にありがちなショボイ音量とは比べ物にならない。
この手の映画館て、ホント音が良くない。
部屋でヘッドホンで観たほうが、よっぽどマシだ。これでは客足も遠のくはずなのだ。
この映画ではいつもの物足りなさを解消してくれる。
何故なら“音”が主役の映画だからだ。
レミング病と言われる病気に感染すると人々は自殺衝動に駆られて命を絶ってしまう。
しかしミズイ(浅野忠信)とアスハラ(中原昌也)の“音”に触れた者は発病を抑えることが出来たのだった。
富豪のミヤギ(筒井康隆)は病に侵された孫(宮崎あおい)を救う為、探偵(戸田昌宏)を差し向けたのだった。
まずはそのロケーションに圧倒される。
ここ何処?!と思ってしまう。
低い丘がボコボコ連なる地平線いっぱいの風景の横スクロールは素晴らしい。※風景の横スクロールは何故か、どの映画を観ても切ない。
人っ子一人いない日常の風景を見せる事によって2015年という近未来の設定に説得力を持たせている。古典的な手法だと思うが効果覿面。
中原昌也の初初しい演技がかわいい(笑)。ぎこちないとも言うが、SPA!等で暴力的発言を書き綴っている印象とは違いナイーブな印象を受ける。
本人的には死にたい気分かもしれませんが。
自転車を漕ぐシーンが頻繁に出てくるのだけれど、体力的には浅野忠信のほうがありそうなのだが、浅野忠信が電動カートに乗り、その横を中原昌也が自転車で並走するシーンは微笑ましさすら感じる。ちょっと、にんまりしてしまうシーンだ。
彼らは音を蒐集している。荒れ狂う海や風の音。また音になりそうなガラクタを拾い集めている。それらを持ち帰り、独自の楽器をこしらえる。
それは例えば、僕が子供の頃に売っていたおもちゃで、黄色にオレンジのラインが入った蛇腹のホースで、振り回すと“フォーン”と鳴るようなもの。それを複数取り付けて、増幅させたりしてる。
単純な作りなのだが、それが発する音は原初的だ。
モンゴルのホーミーやアボリジニのジディリドゥに近い。
このおもちゃは日本の映画作家や音楽家だったら、一度くらいは使いたいアイテムなんじゃないかなと思う。(※このおもちゃ、名前は何で言うのだろう?)
何故なら、完成された音楽になってしまう以前の“音”が発生する喜びと驚きがあるからだ。
ただ、どんなシチュエーションで使った良いか難しいし、ノスタルジックで小洒落ただけの無意味な映像、音楽になってしまうのがオチだろうから、あまり映画などで観た事や聴いた事は無い。
しかし、この映画にはぴったりはまる。
彼らは音楽以前の音の発生を求め続けているからだ。そして自らの手で、それを再生しようと試みているからだ。
この映画のもう一つの音、それは“ノイズ”だ。
自然界の音と電気的に増幅されたノイズ、一見したところ相反するが根っこは同じだ。
音楽以前という意味において。
だだし経過が違う。自然界の音は初めから音楽以前だが、ノイズは完成された音楽様式を壊す事から生まれる。音楽から音楽以前の音へ帰ろうとする行為。体内回帰的な行為だ。
この映画の公式サイトで青山真治監督がインタビューに答えているのだがノイズを聴いていると、いつの間にか寝てしまうと答えていたが、たぶん、誰でも長時間ノイズを聴いていたら寝てしまうだろう。
ただ耐え切れずに止めてしまうので眠くならないだけだ。
ある種のノイズミュージックは暴力的な音と相反して、非常にナイーブな動機から始められている。
ノイズをバックトラックにエレキギターを掻き鳴らすミズイ(浅野忠信)を、まるでウッドストックのジミヘンのように捉える映像から鳴り響く“爆音”には意外とやさしさが含まれている。
関連サイト
□エリ・エリ・レマ・サバクタニ公式サイト
http://www.elieli.jp/top.htm
□浅野忠信公式サイト
http://www.anore.co.jp/asano/
□中原昌也ファンサイト
http://www2u.biglobe.ne.jp/~calvino/NAKAHARA.htm
□宮崎あおい公式サイト
http://www.hirata-office.jp/aoi/
□青山真治監督インタビュー[シアターパーク]
http://www.cinecrew.co.jp/theaterpark/interview/060120/index.html
□宮崎あおいと浅野忠信単独インタビュー - FLiXムービーサイト
http://www.flix.co.jp/page/A0000964
□ホーミー・ワールド
http://members.aol.com/khoomii/
1月 31, 2006 at 03:18 午前 映画・テレビ | Permalink
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2006/01/29
小飼弾氏“ミスター・サスペンダー”登場。
先日の「朝生」に続きまして、ライブドアの前身オン・ザ・エッヂの元取締役小飼弾氏、「サンジャポ」に再び登場。
ライブドアのニッポン放送株買収についての「朝生」にも出演されてましたね。
今時珍しいファッションアイテム、サスペンダーを身に着けていまして記憶に残ってました。
「サンジャポ」では“ミスター・サスペンダー”と呼ばれておりました(笑)。
この方はちょっと人をイライラッとさせる、しゃべり方をしますね。
とにかく、その場の流れを無視して話の腰の骨を折ります。
「朝生」ではジャーナリストの大谷昭宏氏に「うるさい!黙ってろ!」と怒鳴られ、今回のサンジャポでも高田万由子氏に「どうして、話の腰の骨を折るの!」と言われておりました。※まぁ高田万由子氏の発言は基本的に平民出の人間をイライラッとさせますが(笑)。
しかし、この小飼弾氏、えらい天才らしいです。ここ参照。
また、竹熊健太郎氏のブログ、「たけくまメモ」のOFF会の会場を無償で提供、それも自宅マンション!!
50人位は入れるリビングらしいです。
かなりの“ナイスガイ”(by竹熊健太郎)みたいです。
これを書いてる途中ですが、テレ朝のスクランブルにもご出演してます。
大忙しですな。
小飼弾氏は討論などで観るよりは、本など氏一人の理論を展開できるものを拝見したほうが良いですね。
今もスクランブルのキャスターに絡んでいます。
自殺したとされる野口英昭さんの映像に関して、個人保護法に触れるのではないかなど、テレビの方法論、流れを断ち切る正論ですが、番組が進行しませんね(笑)。
しかし、細かいところに絡んでいるのを観るにつけ、とにかく疑うと事は大事だなと思いました。
スクランブルは小飼弾氏をコントロール出来ませんでしたね(笑)。
関連サイト
□小飼弾氏ブログ
404 Blog Not Found
http://blog.livedoor.jp/dankogai/
□サンデー・ジャポン公式
http://www.tbs.co.jp/sunjapo/
□朝まで生テレビ!公式
http://www.tv-asahi.co.jp/asanama/
□たけくまメモひみつOFFレポート
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2005/12/post_4dd2.html
□学習塾の達人!速算魔神!最短距離の頭脳改良術で赤点をブッ飛ばす!30日で逆転する青魔術塾!塾広島県市
http://plaza.rakuten.co.jp/howtolearn/diary/200505150002/
1月 29, 2006 at 12:52 午後 映画・テレビ | Permalink
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「宇宙人東京に現わる」パッケージデザイン程の迫力無し(笑)。でも中身はマジ。
あの岡本太郎デザインのヒトデ形宇宙人が大挙して押し寄せる、パニック宇宙人侵略モノかと思いきや、全然違った。
「ゴジラ」+「アルマゲドン」+「ET」といったところか。
要は原爆批判なのだが。
しかし、「ゴジラ」ほど深刻でもなく「アルマゲドン」ほど大げさでもなく、「ET」ほどフレンドリーでもない。
終戦から11年後の映画であるので、戦争の記憶が色濃く残る。まだ記憶というには生々しい時代であるはずだ。
あくまで空想“科学”映画であるので、夢物語に終わらせたくないとの製作者の意図から、深刻なテーマが選ばれたらしい。(※DVD特典で当時の新聞記事が読める。)
でも実際は荒唐無稽な話を映画化する時の免罪符として、また正当性を与えるものとして、原爆批判というテーマが選ばれている気がしないでもない。
深刻なテーマの割には宇宙人が余りにもキュートだ(ショボイとも言う)。
布の中に人が入っているのが、まる分かりだ。
そして「できるかな」のゴンタ君みたいに、ボォコ、ボコボォコとパイラ語を話す。
軽いジョークも言ったりもする。
それに、パイラ星人の登場シーンは、殆ど人間に化けているので、1シーンしかパイラ星人の見せ所がない。
岡本太郎を贅沢に使い過ぎだ(笑)。
しかしパイラ星人の登場時の電子音は良い。
昔の映画は宇宙人が登場する時は決まって電子音(テルミンかな)を発していた。
いつ頃から宇宙人は電子音を止めにしたのだろうか。
やっぱり、「スターウォーズ(エピソード4)」が分岐点なのかなぁ。
オープニングタイトルの出かたや、ダースベーダーの呼吸音、ライトセーバーの音など、古典SFの手法を使いつつ、もう宇宙人は特別な存在ではなく、町のゴロツキ程度に当たり前な存在として登場させている新しさが混在している映画だったからなぁ。
それに、この映画や「禁断の惑星」みたいな深刻なテーマも無いしな。
「スターウォーズ(エピソード4)」はパイラ星人を宇宙の藻屑にしたのだった(笑)。
特撮シーンには関係ないけれどセットは素晴らしい。日本家屋の室内とか飲み屋が連なる路地裏など細部まで丁寧に作り込まれている。
小津安二郎の「秋刀魚の味」を思い出した。
年代的には、この映画のほうが古いのだけれど。
国産初の本格的カラーSF映画という事だが、確かに昔の絵葉書のような質感だった。
妙に鮮やかなのだが、人口的で平坦な感じ。
「宇宙人東京に現わる」は全編がのんびりと進行していく、脱力系だ。
その証拠に、みうらじゅんのコメントが特典だ。
特撮映画としても面白味に欠けるが、何かの拍子でお店で手にとってしまって、買ってしまうのも一興でしょう。
特典は当時のポスターが付いていたり、PCの壁紙、大映特撮映画の予告編集(これ良かった)が付いていたりと充実してます。※初回限定かもしれませんが、アマゾンの画像も僕が買ったものと違いますな。。。
参考サイト
□RED BATTALION
http://www.h2.dion.ne.jp/~redbat/movie/67uchujin.html;
□日のあたらない邦画劇場
http://home.f05.itscom.net/kota2/jmov/1996_04/960413.html
□童貞.com~愛と勇気と童貞力!Web人生
http://www.doutei.com/blog/archives/200511/30-1020.php
1月 29, 2006 at 06:53 午前 映画・テレビ | Permalink
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NONFIX「東京ニューシネマパラダイス」再放送。
フジテレビのドキュメント番組NONFIXで「東京ニューシネマパラダイス」の再放送をやってました。
僕は観るのは、初めてだけど。面白かったです。
まぁ、下北沢文化圏とでも言いましょうか、そんな感じですね。
「映画はノスタルジーから逃れられねぇなー」と再確認した次第です。
※実際はそれだけではないのですが、現在の状況からしか生まれない映画もあるので。
ただ映画とノスタルジーは相性がとても良く簡単に結び付きます。
現実にこうして番組が再放送されるほどですし、「ALWAYS 三丁目の夕日」みたいな映画がヒットしますもんね。
この番組のタイトルからして、分かりきってると言えばそれまでですが。
あと取り上げられてた方々が、それなりに狂気を持っていました。
高崎映画際実行委員長は特にそうでした。さすが団塊の世代。粘り強いです(笑)。
狂気がなければ継続する事は出来ません。
継続し続けることが狂気かもしれませんが。
狂気=愛=映画狂=淀川長治。
みんな、故・淀川長治氏の子供達です。
関連サイト
□NONFIX公式
http://wwwz.fujitv.co.jp/nonfix/index.html
□高崎映画祭事務局
http://www.wind.ne.jp/tff/
□淀川長治の銀幕旅行
http://www.sankei.co.jp/mov/yodogawa/
1月 29, 2006 at 04:24 午前 映画・テレビ | Permalink
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2006/01/26
「ロード・オブ・ドッグタウン」“ストリート”の誕生。
【渋谷シネマライズ】にて
1975年、カリフォルニアのドックタウンと呼ばれるスラム街に、一軒のサーフショップがあった。そこにたむろするガキどもが、ショップオーナーの思惑によりスケーターチーム“Z-BOYS”を結成する。
彼らはスケートボードを武器にユースカルチャーを塗り替える事となる。
今では当たり前となったハーフパイプ。その原型となる空のプール。最高のバンクを求めて高級住宅街に不法侵入する日々に明け暮れる。
ジミ・ヘンドリックスの「ブードゥー・チャイル」で幕を開ける映画。
この時点で気持ちは持って行かれてしまっている。
「ジミヘンで始まる映画がつまらない訳が無い!」。
でも何故、ジミヘンなのか?
70年代が舞台の映画のオープニングに、何故、ヒッピー世代の音楽を選択したのか?
答えは自ずと明らかになる。
それはこの映画が革命を記録しているからだ。
ギター一本でロックに革命を起したジミ・ヘンドリックスと同様に、スラム街の少年達もスケートボード一つで若者の世界を変えた。
そうこのオープニング曲が伝えている。
たかが音楽、たかがスケボー、革命といってもユースカルチャー限定だ。
それでも彼らは確実に同世代の若者達に影響を与えた、その後の若者にも。
しかし、このオープニング曲は新たな時代の幕開けと同時に前世代への鎮魂歌でもあり、彼ら少年達にとっても鎮魂歌であるのだろう。
何故なら、ヒッピー文化が終焉し、それに付随したロックが客商売に取り込まれたように、彼らもまた大人達の思惑に翻弄され、自ら進んでそれに飛び込み、そこで栄光と挫折を味わう事となるからだ。
ユースカルチャーは常に金儲けと表裏一体であり、そうであるからこそ、大人達の商魂によって世界に飛び火する事もにもなるのだ。
この流れに逆らうことは出来ない。彼らに選択の余地は無かった。立ち止まればゴミのような日常が待っているからだ。少年達はそれぞれの道を歩む。ある者は成功し、またある者は時代の流れから疎外される。
しかしまた戻って来るのだ、あの空のプールへ。
僕もオッサンなので、通りの真ん中を身勝手にスケボーしているガキを見ると邪魔でしょうがない、正直ムカつく。
しかし、この映画の少年達には見入ってしまう。
彼らは一握りの才能を持った人間だ。全ての人々がこの少年達のような人生を経てきた訳では当然無い。しかし全ての少年の、または少年だった人々の“リアル”と“切なさ”を体現しているのだ。
“全ての少年”とは、ちょっと大げさか、国も習慣も制度も宗教を違うのだから。
しかし日本は確実にアメリカの文化圏に属している。スケボーに興味のないオッサン、オバサン、お坊ちゃん、お嬢ちゃん、全てそうだ、戦後生まれの日本人は全てそうだと言って良いと思う。
だから、70年代の西海岸のスラム街の少年達の物語も無視は出来ない。
全くもって共感してしまう。
でも、先ほど“リアル”と“切なさ”と言ったけど、僕自身にとってそれは憧れを伴った“リアル”と“切なさ”だ。身に沁みて分かるというのとは違う。
自分には絶対訪れない、又は訪れなかった“リアル”と“切なさ”だ。
それはこの手の青春映画を観る時に、いつもちょっとした悔しさが伴うからだ。
また、サウンドトラックについても正直羨ましさを感じる。
ジミ・ヘンドリックスからストゥージスまでを、ふんだんにサントラに使え、またそれが見事に映像とシンクロして疾走感を作り出す。それが体感だけでなく、こちらのほうが重要だけれど、その時代を切り取る事、象徴する事が出来るからだ。これが日本映画には出来ない。楽曲使用料の問題かも知れないし、仮に使えたとして気鋭のクリエーターが映画を作ったとしても、音楽と映像がシンクロしたカッコいいモノは出来るかもしれない。でも時代を象徴させるのは無理な気がする。たぶん見事に成功しているのは 石井聰亙監督「爆裂都市」くらいじゃないかと思う。
例えば村上龍原作、映画「69」では、その時代の音楽をサントラ、またはCMで使用していたが、時代性を感じたか?ただの背景に過ぎなかったのではないか。何故なら全く印象に残らないから。(主題歌:CHEMISTRYというのも訳分からん。主題歌タイアップ制度など、いい加減止めればよいと思う。)
アメリカは歴史の無い国、浅い国と言われる。
本当にそうだろうか?コーラを飲み、ハンバーガーをパクついて、ポップミュージック、ロック、ブラックミュージックを聴いて育ってきた人にとっては、アメリカは常に時代を切り開いてきた歴史の塊ではないだろうか?
僕は常に勉強組だ、リアルタイムでは何も知らない。そういう人間にとってアメリカ文化は常に先行している。(※やみ雲にアメリカ礼賛している訳ではありません。念の為。)
そのアメリカ文化を切り開いてきた少年達なのだ。
それ以前は“通り”はただの交通路に過ぎないし、階段もただの段差でしかなかった。
プールも金持ちの証以上の意味は無い。
それを自分達の物としたのだ。
彼らが“ストリート”と呼ばれるものを発明したのではないだろうか。
“ストリート”とは彼らの居る場所の総称だろう。
ムーブメントが生まれる瞬間を、そこに生きた少年達の“リアル”を垣間見れる作品。
スケボーに興味がなくても、間違いなく楽しめる映画。
今週で上映は終了ですが、DVDで是非どうぞ!!
また、この映画を観る前に彼らのムーブメントを回想したドキュメンタリー「DOGTOWN&Z-BOYS」を見ておくと、なおいっそう「ロード・オブ・ドッグタウン」を楽しめます。
監督は、Z-BOYSのオリジナルメンバーであったステイシー・ペラルタ。
今回の映画では脚本を担当。
ちなみに上映後、一組のカップルの彼女が
「ねぇこの話ホント~?」
と彼氏に聞いて、彼は
「んな訳ねぇ~だろ!」
と答えておりましたが、実話を基にしたフィクションです(笑)。
関連サイト
□ロード・オブ・ドッグタウン公式
http://www.sonypictures.jp/movies/lordsofdogtown/
□シネマライズ
http://www.cinemarise.com/
[ドキュメンタリーDVD]
1月 26, 2006 at 02:01 午前 映画・テレビ | Permalink
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2006/01/21
松平健主演映画「MAMAN(ママーン)」って何だ?!
「バニラ気分」とかいうお昼の番組で、松平健主演「MAMAN(ママーン)」の告知していた。
何だ、この映画?公式サイトもブログも見たけど、情報が少なすぎてよくわからない。
監督の秋原正俊氏の作品も一本も観たことないな。。。
「パーティー7」みたいなもんかな?
「MAMAN(ママーン)」公式サイト
http://www.kaerucafe.co.jp/maman/index.html
「MAMAN(ママーン)」公式ブログ
http://www.kaerucafe.net/maman/
「秋原正俊監督」フィルモグラフィー
http://movie.www.infoseek.co.jp/person/10864
1月 21, 2006 at 12:48 午後 映画・テレビ | Permalink
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2006/01/19
映画を体験する事。「殺人の追憶」
ここ数年、観た中ではベストの映画だ。
韓国映画をまともに観るきっかけになった作品でもある。
実際に軍事政権下から民主化に移行する韓国の片田舎で起きた未解決猟奇殺人をベースに物語が進行するので結局の所、犯人が分からないまま映画は終わる。
この消化不良の作品を複数回観たのは、別に犯人に関するネタが映画内に散りばめられているのではないかとか、そういった興味で観た訳ではない。
観賞後の満足感が忘れられなかったからだ。
刻々と進む時間の流れが、丁寧且つ、さり気ない細部の描写が、人の滑稽な様が、田んぼの先に聳え立つコンクリート工場が、そしてソン・ガンホの顔が、陰惨な物語とは裏腹に活き活きと※画面に立ち現れる。まさに活劇だった。
久しぶりに“映画”を堪能したのだ。
“映画”の力を再確認させてくれた作品。何回も観るのは当たり前なのだった。
「殺人の追憶」は現実と反射する。
ニュースで目にする殺人事件が都市部よりも郊外、地方に頻発している日本の状況に置き換え可能だ、というより置き換えて観てしまう。
この映画を観終わった後、「面白かったねー、」で済ましてラブホテルに直行という訳には行かないはずなのだ。(まぁカップルで観に行く映画じゃないけれど。)
映画を通して現実を目の当りする事を観客に迫る、それも楽しませながら。
無意識に通り過ぎてしまう日常を留まらせる力がこの作品にはあり、それもマイナーな映画ではなく、一般的な作品として公開されている事が素晴らしい。
日本映画にはこの手の作品が極端に少ないように思う。
現実をやんわりとオブラートに包んだように遮断する、見たくないもは見せない、そのくせ心情にだけは訴えようとする。現実の物事に興味を失った場合、フックになるのは「悲しい、嬉しい、楽しい」などの単純な心の作用しかないからだ。(こういうのを動物化というのだろうか。)
そんな心の皮膜を破るような体験が出来る映画だった。
※スクリーンと書かずに画面と書いた、そう、僕はこの映画をDVDで観たのだった。
テレビ画面で観てこれだ。スクリーンで観たならばどんなにか素晴らしい事だったのだろう。出不精の自分を恨む。
関連サイト
□「殺人の追憶」公式
http://www.cqn.co.jp/mom/